学びやの思い出探す 旧気仙中で物品返却へ下見 震災遺構の整備本格化前に(別写真あり)

▲ 旧気仙中校舎で思い出の品を探す秋山代表理事(右から2人目)ら

 東日本大震災の遺構として保存が決まっている陸前高田市気仙町の旧気仙中学校校舎で17日、建物内に残された物品の運び出しと返却に向け、市からの事業委託で被災写真など「思い出の品」返却を進める一般社団法人三陸アーカイブ減災センター(秋山真理代表理事)のスタッフらが下見を行った。校舎内には当時の生徒たちのものとみられる教科書などが残っており、9年半前のまま時が止まったような光景となっていた。見つかった品は後日回収し、返却に向けた作業を行うこととしている。

 

教科書など残る

 

 旧気仙中は昭和56年に完成した。気仙川河口部の低地にあり、鉄筋コンクリート造3階建て。東日本大震災時は高さ14・2㍍の津波に襲われて屋上まで水没したが、生徒や教職員はその前に避難して無事だった。気仙中はその後、平成30年に高田町の第一中と統合して高田第一中となっている。
 約130㌶に及ぶ高田松原津波復興祈念公園のエリアに入っており、市は津波の威力を後世に伝えるための震災遺構として保存を決定。来年度中に内部を公開できるよう整備することとし、今月から改修工事に着手。現在は周辺の草刈りや足場の組み立てなどを行っている。
 同日の下見は、この整備本格化を前に実施したもの。市都市計画課職員と秋山代表理事の2人が校舎に入り、1階から3階までをくまなく回った。
 校舎内は9年半前の被災時の様子をとどめており、床板がめくれあがって防火シャッターや扉は折れ曲がり、海から流れ込んだとみられるカキの養殖ロープなども見られ、津波の威力を伝えていた。3階教室の黒板にはチョークで書かれた津波当日の時間割や「めあて」が残っていた。
 この中から秋山代表理事は、教科書や学習プリント、辞書など約20点を確認し、中には持ち主の名前がはっきりと分かる物も。気仙町けんか七夕太鼓の演奏や披露宴の様子をおさめた写真アルバムもあった。この日は確認作業にとどめ、市と協議したうえで後日回収し、洗浄など返却に向けた作業を行うこととした。
 秋山代表理事は「氏名があるもの、手書きのもの、市販されていないものを中心に、傷み具合を見ながらピックアップした。きれいにしてお返しできるような状態にしていきたい」と話していた。
 三陸アーカイブ減災センターは竹駒町の竹駒地区コミュニティセンター隣に常設の返却会場を開設し、いまも被災写真約6万9000枚や物品約2700点などを保管。市内の理美容店にリストを置くなどしながら、持ち主らへの返却に努めている。
 復興庁の「心の復興事業」の採択を受けて行っているもので、本年度いっぱいでの終了が見込まれる。秋山代表理事は「心のふたはいつ開くか分からない。探したい時に探すことができるようにしていたい」と、継続を模索している。
 同市の震災遺構では旧気仙中のほか、高田町の国道45号沿いにある下宿定住促進住宅にも個人所有の物品が残っているものとみられる。市は同住宅の見学について、外部からのみとする方針で、建物内に残る物品の扱いは今後検討する。