復興の伴走者─被災地に寄り添い続けて─⑧宮本 航大さん(41)=社会福祉法人・弘前豊徳会=

避難入所者をふるさとへ
気仙両市での帰郷支援続く

 

 被災地支援の一環として、気仙両市を含む東北の被災3県から要介護者を受け入れている青森県弘前市の社会福祉法人・弘前豊徳会。同法人で広域連携室長などを務める宮本航大さんは、多い時には月の半分を被災地で過ごし、関係各所との打ち合わせや調整に奔走するなど、広域受け入れ活動に尽力してきた。現在は、こうした避難入所者の郷愁に応えるべく、帰郷を支援する取り組みに力を入れている。

 東日本大震災では、高齢者施設や医療機関も多く被災し、要介護者の受け入れ先確保が急務となった。
 こうした状況を受け、同法人は▽広域受け入れ活動(無償移送含む)▽被災地の状況調査──など6種類の支援活動を展開。
 このうち、広域受け入れ活動は「施設入所が必要な被災地の要介護者を、法人所有の福祉車両で現地まで迎えに行き、無償で移送し、法人の介護老人保健施設で受け入れる」というもので、平成23年4月11日に宮城県気仙沼市の病院から5人の要介護者を受け入れたのを皮切りにスタートした。
 震災から10年がたとうとしている現在も受け入れ活動は継続。総受け入れ数は、今月9日現在で191人となっている。

 宮本さんは、受け入れ活動が始まった当初から携わってきた職員の一人。テレビからの情報と、現地からの電話で聞いた情報のすり合わせがうまくできず、自分の目で現状を確かめようと気仙両市など被災地へ足を運んだ。弘前と被災地を往復する日々が始まったのは震災の年の5月末。被災地で受け入れ活動を周知しつつ、各地を回って情報や課題点などを集めたという。
 これまでに、大船渡市からは39人、陸前高田市からは4人の要介護者を受け入れた。大船渡市からの受け入れ人数は、気仙沼市に次いで2番目の多さとなっており、現在も15人が入所している。
 避難入所者の多くは高齢で、重ねた年齢の数だけ故郷への思いも強い。宮本さんは「あまりそう言わないが、本音では帰りたいと思っているのでは。ニュースで地元の近くが映ると、『戻りたいな』という表情を見せたり、そういった会話をしている利用者さんを見かける」と語る。
 「戻りたいという思いに少しでも応えなければ」。受け入れ活動は、定員を超えた入所を認める国の「災害特例」によって成り立っており、その特例が打ち切りとなる懸念もあった。こうした状況の中、帰郷支援事業は30年度に始動した。

 事業の壁として最も高く立ちはだかったのは、「施設まで行って直接見ないと判断ができないが、弘前は遠くてなかなか行けない」といった距離の問題だった。同法人では、帰郷の可能性をより高めようと試行錯誤を繰り返し、最終的にリモートでの遠隔面談という方法にたどり着いた。くしくも同時期に新型コロナウイルスが広がり、県外との往来が難しくなった中で、かねて準備していたリモートを駆使した打ち合わせ方法は、現状とうまく合致した形となった。
 リモートでの遠隔面談は今年8月、大船渡市の社会福祉法人・成仁会が運営する立根町の特別養護老人ホーム「成仁ハウス百年の里」との打ち合わせ現場で初めて実施。書面だけでは伝わらないことも、画面越しに避難入所者の〝生の姿〟を見ることで理解が深まった。「とんとん拍子だった。リモートのすごさを肌で感じた」と宮本さん。翌9月には無事に〝帰郷〟が実現し、家族からは感謝の手紙を受け取ったという。
 「待機者が100人以上いる」「人手不足で余力がない」など、帰郷支援はハードルが高い。リハビリで体の状態が改善されたために入所要件が満たせなくなり、新しい施設を探さなければならないといった制度的な問題に直面することもあった。
 それでも、気仙両市から避難入所した要介護者のうち、これまでに合わせて9人が帰郷を果たした。帰郷者の数は、被災3県の中で岩手が最も多い。宮本さんは、「大船渡市の帰郷者は7人で、このうち4人が支援を受けた方。大船渡は協力してくれる方が多く、行政とも連携が取りやすい。地元で福祉に携わり、ニーズや資源を把握している方たちとつながれたことが何よりの財産」と、受け入れ活動と帰郷支援を通して得たつながりに感謝する。
 現在も、大船渡市出身者の帰郷に向けて奔走している宮本さん。「一人でも多くの方が地元に帰ることができれば。私が間に入ることで、帰郷の可能性が1%でも2%でも上がるなら」と力を込める。(月1回掲載)