秋の叙勲/長年の活動と勤続に光 気仙から6人が受章
令和2年11月3日付 1面
さまざまな分野で精励
政府は、3日付で発令する令和2年秋の叙勲受章者を発表した。受章者は全国で4101人、県内在住者80人。気仙からは、元陸前高田土地改良区理事長の熊谷研(みがく)さん(81)=陸前高田市米崎町字脇の沢=が土地改良事業功労で旭日単光章、元住田町消防団長の佐籘一博さん(72)=同町世田米字畷畑=が消防功労で、元公立小学校長の鈴木勝子さん(78)=大船渡市盛町字舘下=が教育功労で瑞宝双光章を受章。元住田町消防団長の佐々木朝男さん(78)=同町上有住字山脈地=が消防功労で、元障がい者支援施設吉浜荘生活支援係長の千葉三佳さん(62)=大船渡市猪川町字下権現堂=が社会福祉功労で、元住田町消防団長の吉田倎(あつし)さん(75)=同町上有住字二反田=が消防功労で瑞宝単光章を受ける。
旭日単光章・熊谷 研さん
土地改良事業功労
ほ場の区画整理などで貢献
陸前高田市米崎町出身。高田高校卒業後に実家の農業を継ぎ、昭和62年から旧気仙川土地改良区理事を務めた。平成9年には県の中山間地域総合整備事業採択を受け、同町の浜田川地区や西の沢地区の農業生産基盤整備に尽力。ほ場の区画整理や団地化を図るとともに、機械化による生産性向上に寄与し、地域の農業振興に貢献した。
平成19年、同土地改良区理事長に就任。23年の東日本大震災で事務所や受益農地、土地改良施設の半数が被災するなど甚大な被害を受けたが、組織存続に向け率先して陣頭指揮をとった。同土地改良区が旧金成土地改良区と合併して名称を変えた陸前高田土地改良区でも、昨年まで理事長として責務を全うした。
県土地改良事業団体連合会理事や、同市農業委員も歴任。「当時は農地の整備について反対意見も少なくなく、地域の方々に理解をいただくため、何度も話し合いを重ねた」と振り返る。受章について「一人では何もできなかった。地元の農業発展に向けて志をともにした仲間や、支えてくれた妻がいたから」と感謝を伝える。
瑞宝双光章・佐籘 一博さん
消防功労
団員確保体制構築に尽力
昭和39年に住田町立大股中学校を卒業し、北海道で左官見習いとなった。その後、41年に神奈川県の会社に就職。町消防団には43年に入団した。平成17年に団長となり、21年度末で退団するまで41年間、消防団として地域の安心安全のために活動した。
忘れられない出来事は、平成に入ってからの副団長時代、台風で行方不明者が出た際に行った1週間の捜索活動。「なんとか発見したい」との思いで毎日、朝から夕方まで気仙川を捜索。一般を含めると、捜索規模は最大で600人となったという。
団長時代には、人口減少が続く中で団員確保を図ろうと、退団者も特定の活動にのみ参加する「機能別団員」の体制を団幹部や町とも協力して構築。現在もその体制は引き継がれている。
かつては、妻・菊子さん(67)も消防団に所属し、夫婦で団活動に励んだ。
今回の受章に対しては「周りの人の支えがあったからこそ。本当に、人に恵まれた消防団生活だった」と語る。
瑞宝双光章・鈴木 勝子さん
教育功労
周囲の協力得て教職全う
県立盛岡短期大学家政科を卒業後、昭和37年4月に大船渡市立赤崎中学校の講師として教員人生の第一歩を踏み出した。陸前高田市立下矢作小学校などの助教諭を経て、41年4月、初めて教諭として盛岡市立根田茂中学校に着任。盛岡と久慈の特別支援学校に在籍した際には、障害がありながらも工夫して学校生活を送る子どもたちの姿に、多くのことを教わったという。
62年には、教育施設建設事務所指導主事として県立気仙養護学校(現・県立気仙光陵支援学校)の新設に携わり、校歌や校章、校訓、教育目標などの設定に奔走。当時住んでいた盛岡と大船渡を行き来し、校舎の建設状況を確認したり、新入生を集めたりと忙しい日々を送った。
平成14年3月、陸前高田市立気仙小学校長を定年退職。同校児童たちを「素直でいい子たちだった」と懐かしく思い出す。長い教員人生を「苦労はあったが、周囲の協力や後押しのおかげで全うできた。感謝の気持ちでいっぱい」と笑顔で語る。
瑞宝単光章・佐々木朝男さん
消防功労
無火災への意識高く持ち
祖父、父も消防団員を務めていたという佐々木さん。自身は昭和43年に26歳で入団して以来30年間、地域の安心安全のために活動してきた。
町内で行われた操法競技会で指揮者を務め、優勝して支部大会に出場したこともいい思い出だ。
本部長時代の平成4年には日本消防協会の特別点検が行われた。〝まとめ役〟を務め、特別点検の経験がある他県の消防団にも視察に行くなどして、万全の備えで臨んだ。部隊訓練から消防操法訓練まで総合的な消防演習が行われた結果、団員が一致団結した見事な訓練が繰り広げられたという。
団長時代は、予防消防に徹して無火災を目指した。小さな火事はいくつか発生してしまったものの、火防への意識は高く持ち続けた。
「みんなの協力があったからこそ」と、受章を喜ぶとともに周囲への感謝も口にする。
現役世代の消防団員に対しては「過疎化で若い人が少なくなっているが、火災や災害はいつ起きるか分からない。これからも全力で頑張ってほしい」とエールを送る。
瑞宝単光章・千葉 三佳さん
社会福祉功労
障害者が望む生活実現に奔走
大船渡市盛町出身。大船渡高校、東北福祉大学を卒業し、昭和55年4月に社会福祉法人愛生会が開所した吉浜荘に勤務。開所以来40年にわたり、障害者福祉に携わってきた。
吉浜荘では、身体、精神、知的などの障害がある人々が生活を送る。開所当時を振り返り、「職員は10代から30代前半の若い人が多く、全員が〝1年生〟。みんなで一緒に勉強しながら続けてこられた」と話す。
施設では主にサービス管理責任者として、利用者の家族に対する相談支援、他事業所との調整等を担い、利用者が望む生活の実現に向けて奔走。2年前に定年退職後も再雇用で勤務し、現在は統括課長を務める。
仕事に対しては、「福祉の常識は時代などとともに変わるので、敏感に対応できる柔軟さがなければならない。積極的に勉強しないと、やりがいも感じられない」と、常に学ぶ姿勢の大切さを強調。受章には、「私個人ではなく、これまで一緒に働いてきた方々を代表して受けるもの。夫や子どもたちの協力にも感謝したい」と語った。
瑞宝単光章・吉田 倎さん
消防功労
火災予防活動に力注ぐ
幼いころから、消防団員だった父の姿を見てきた吉田さん。団員たちの、統率の取れた一糸乱れぬ姿にあこがれを抱いていた。
昭和40年に岩手総合職業訓練校(花巻市)を卒業し、42年に念願の団員となった。以来、消防団活動には一日も休まず携わってきた。
消防団長になった平成14年は、町内で7件の火災が発生した。抑止目標2件を大きく上回る発生を受け、20年ぶりに非常事態宣言が発令された。大船渡消防署住田分署と町消防団では、発令後、1日3回のポンプ車による特別警戒と広報活動、防災無線での呼びかけを展開。そのかいあって、火災も減少していった。
38年の消防団生活を「好きで入った消防団なので、苦ではなかったし、いろんな思い出がある」と振り返る。
栄えある受章には「勲章をいただけるのは無上の光栄。多くの仲間の支え、周囲の方々の協力のおかげで務めることができた。これからも、微力ではあるが消防団の顧問の一員として頑張っていきたい」と話していた。