復興の伴走者─被災地に寄り添い続けて─⑨藤林 初枝さん=鍼灸(しんきゅう)師=

施術で心と体癒やす
治療根付かせ健康向上を

 

 鍼(はり)または灸(きゅう)を使った治療で患者の自然治癒力を高め、病気の治療や予防、回復を図る鍼灸師。藤林初枝さんは、東日本大震災後の平成25年に陸前高田市でボランティア施術を始め、震災から10年目を迎えた現在も、大船渡市に構える店舗を拠点に住民らの心と体を癒やし続けている。

 神奈川県出身。学生時代から、翻訳、通訳の仕事に携わり、国際会議や音楽、スポーツなど幅広い業界で日本と外国をつなぐ役目を負ってきた。大舞台の〝裏方〟として海外を飛び回る中で、世界的に活躍する著名な人々の過酷な生活も目の当たりにしてきた。
 体の疲れを癒やすための医療的なサポートができたら──。そう考え、医療に関して調べていくうちに見つけたのが、はり・きゅうだった。
 鍼灸師の資格取得のため、東京の医療専門学校に通って1年がたとうとしていた平成23年、東日本大震災が発生。「ちょうど春休みで時間があったということもあり、岩手行きのボランティアバスに乗っていた」と当時を振り返る。
 本県沿岸や宮城県で被災した地域を中心にボランティアに訪れ、がれきの撤去や泥かきなどに従事。仮設住宅が建設されてからは、入居する地域住民らと交流しながら心のケアに力を注いだ。
 専門学校を卒業した25年からは、陸前高田市の仮設住宅などで施術ボランティアを開始。昼間に仮設住民らに施術し、夜は一緒に支援活動に来たボランティア仲間に治療を施した。高田町のりくカフェや、個人宅などさまざまな場所で施術を行い、1日20人以上を治療した日もあった。
 市内に家を借り、その後、米崎町にプレハブの仮設店舗を構え、東京の自宅と気仙を往復しながら被災地の住民らを癒やした。「陸前高田や大船渡は、はり・きゅうの治療院が被害を受け、鍼灸師が手薄だった。必要とされる場所で活動することが、ボランティアの使命」と藤林さん。頼れる人柄と確かな技術が好評を博し、藤林さんの存在は口コミであっという間に広がっていった。

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 治療を受けに来る人はさまざまだが、そのほとんどに対応できるのがはり・きゅう。体の痛みのみならず、体内環境の改善やストレス軽減といった精神面にも好影響を与えるとされ、小さな子どもを対象とした「小児はり」なども注目を集めている。
 また、はりさえあれば場所を選ばず施術ができることも強みの一つ。電気やガス、水道などのライフラインが切断された場合でも行うことができ、医薬品の不足が予想される災害時でも、多くの人の体調維持に貢献できる。
 施術ボランティアを始めた当初は、さまざまな原因で不眠に悩む人が多かったというが、ゆったりと流れる時間の中、一対一で行う施術のため、患者たちは徐々に心を開き、悩みなどを話すようになった。「私が県外出身者だから、より話しやすかったのかもしれない。気持ちが楽になることは体にも良い影響をもたらす」と語る。
 今年5月に、陸前高田市から大船渡市盛町権現堂に拠点を移し、月の大半を気仙で過ごす藤林さんだが、患者に呼ばれると、施術道具を積んだ自家用車で東京に向かい、往診も行う。治療を終えた患者が「ありがとう」とすっきりした表情で話すたびに、「はりってすごいな」と、その力を再確認するという藤林さん。「日々の治療でも予約を受ける段階から体の状態を聞き、自分が最終的にどうなりたいか、終わりが見える治療を心がけている。はり・きゅうはあくまで、患者の自然治癒力を高めることで健康増進や回復を図る治療法であり、体を治すのは自分自身」と強調する。
 大船渡市に店舗を構え約半年が経過し、新規で訪れる患者の数は増えた。一般の病院が休みの土、日曜日、祝日でもできる限り治療を受け付ける。「気仙の患者さんたちの体調が良くなって、誰も施術を受けに来なくなったら自宅がある東京に戻りたい」と本音を漏らすが、そのためには、気仙の住民一人一人が『自分の健康は自分で守るんだ』という意識を持つことが大切だと語る。「気仙は、人が元気になるきっかけが日常のあらゆる場所にあふれている」と、気仙で過ごした時間から気づかされたという。
 現在思い描くのは、気仙や東北にはり・きゅうを根付かせ、一人一人の健康レベルを上げること。「まずは、はり・きゅうを広めるために、一緒に活動する人がいればありがたい。幅広い世代になじみ、若い人にも親しみのある治療の選択肢となってくれれば」。施術を通じて患者の体調を気にかけながら、気仙の健康に寄り添っていく。(月1回掲載)