3市町の中高生対象に作文コンクールを開催 「20年後のふるさと気仙」テーマに 東海新報社

▲ 田﨑飛鳥さん㊧が描いた絵画「路」と、藤田さん夫妻

 来年3月に東日本大震災の発生から10年という節目を迎えるにあたり、東海新報社は気仙3市町の中高生を対象に、作文コンクールを行う。テーマは「20年後のふるさと気仙」。令和3年1月30日(土)まで作品を募集する。実施の背景には、震災遺族である藤田敏則さん(71)、英美さん(67)夫妻=香川県高松市在住=の「震災直後に幼少期を過ごした子どもたちは今、ふるさとのどんな未来を心に描いているのか。思いを広く伝えてもらい、住民自身にも地域の将来を見つめる機会にしてほしい」という強い願いがある。

 

3月に本紙で受賞作掲載

 

 コンクールは東海新報社が主催し、気仙3市町の教育委員会が後援する。
 協賛者である藤田さん夫妻は、ともに香川県出身。長女の朋さん(当時29)は陸前高田市に嫁ぎ、同市役所に勤務していたが、津波で行方不明となった。
 混乱のためなかなか現地に入れなかった震災直後、夫妻がネットで安否情報を求めている時、気仙の人々が同じように朋さんを捜していることを知った。
 遺体が見つかった後、敏則さんたちは朋さんの同僚らと電話で話した。通話口の向こうでわっと泣き出す人、涙ながらに朋さんとの思い出を語ってくれる人──。
 「娘のために泣いてくれる人たちがこんなにいたのか」。朋さんが嫁ぐまで縁もゆかりもなかった、そんな地域の明るい未来を藤田さん夫妻が何よりも願うのは、この時の思いがあるからだという。
 ソーシャルワーカーだった朋さん。なじみのない気仙語を懸命に覚えようとし、地域の社会福祉のため頑張っていた姿が、周囲の人々の話から浮かび上がってきた。「娘はこの地に希望を見いだし、骨をうずめる覚悟だった。まちの未来のため、娘の代わりにやれることをしたい」という夫妻の決意は、今回の作文コンクールを企画する発端にもなった。
 敏則さんは大震災直後から、被災地の保育所(園)や学童クラブで「けっぱれ岩手っ子」として、移動お絵かき教室を開いた。平成7年の阪神淡路大震災後も、当時暮らしていた兵庫県内で同様の活動を繰り広げた経験がある。お絵かきが子どもたちにとって心のケアとなることを、実感として知っていた。
 夫妻は、「絵も、作文も同じ。自分の中にある思いを書き出すことで、気持ちの整理にもなる」「中高生時代にふるさとの将来を考え、文章として残したものを、彼ら自身が大人になったとき読み返してもらうことにも、きっと大きな意味がある」と語る。
 大船渡や陸前高田でお絵かきをしてもらった当時の年中、年長児たちは今、ちょうど中学生。学童クラブの児童らも高校生になった。「成長したあの子たちが、どんな未来をつづってくれるのか」。2人は今から待ち遠しいという。


開催に寄せて

 大人にとっての10年は瞬く間だが、子どもにとっての10年は、人生にとって最も意義深く、何物にも代えがたい貴重な年月だ。
 震災から10年を迎えるにあたり、この気仙の、そして現在の児童・生徒の将来に向け、わが社でも何かしたいと考えていた矢先、藤田さん夫妻から本コンクールについてご提案があった。
 これ以上ない機会を与えてくださったお二人に、心から感謝申し上げたい。
 募集テーマに合わせ、夫妻と親交が深い陸前高田市の画家・田﨑飛鳥さんの「路」を、告知ポスターとチラシに使わせていただいた。
 花畑にたたずむ子どもたちの背後に描かれるのは、かさ上げされた新市街地だという。画面の中心を、希望の道がまっすぐ貫く。土の下に消えたまちの思い出──それらを礎とし、今が、そして未来がつくられていく──コンクールの趣旨を象徴する絵だ。
 今回、元県立高田病院長の石木幹人氏、フォトジャーナリストの安田菜津紀氏、アーティストの瀬尾夏美氏が特別審査員を引き受けてくださった。気仙とのご縁が深く、震災以降の地域の変遷をずっと見守っていただいている方々である。
 さらに、地元をよく知り、気仙の子どもらに深い愛情を抱く皆さまに地域審査員をお願いし、「外部」と「地元」という異なる角度から応募作をお読みいただきたいと思う。
 募集要項は本紙3面に掲載した。入賞・入選作品は来年3月に発表する。どのぐらい応募があるかは未知数だが、寄せられた作品はきっと、永遠に保管すべき大切な宝物となるだろう。10代の皆さんの〝今〟の思いを書き残す機会として、ぜひ多くの生徒にご参加いただければ幸甚だ。
 東海新報社代表取締役・鈴木英里