外国人に震災分かりやすく 熊谷さんが津波伝承館で英語解説に奮闘 

▲ 東日本大震災津波伝承館の英語解説員として施設を案内する熊谷さん

 陸前高田市竹駒町の熊谷葉月さん(26)は気仙町の東日本大震災津波伝承館の英語解説員として、外国人への教訓発信に奮闘している。本県沿岸被災地では、若い語り手の確保が課題となっている中、自宅が被災した経験も踏まえ、同館で唯一の20代の解説員として、津波の迅速避難の大切さを伝える。全国から受けた復興支援への感謝を胸に、震災を語り伝えることで恩返ししたいと力を込める。

 

「てんでんこ」 伝え続ける

 

 「当時は高田高1年生。合唱部の練習中に地震が発生し、高台のグラウンドに急いで逃げた。3月に制服のままでいたのでとても寒かった」。
 今月上旬、インバウンド(訪日外国人旅行者)誘客促進事業の一環で同館を訪れた米国、英国人に震災当時の状況を身ぶりを交え英語で解説。臨場感のある案内に外国人からも拍手が起こり「グッドイングリッシュ(分かりやすい英語)」と称賛を受けた。
 外国人にも、地震が起きたらそれぞれがてんでんばらばらに逃げる「津波てんでんこ」の言葉を意味とともに紹介している。「『てんでんこ』は津波以外の災害にも通じる。『逃げる』という言葉は日常生活ではマイナスイメージだが、災害時には自分の命を守るために必要なことで、他の人を助けることにもつながる良い意味だ」と強調して伝える。
 新型コロナウイルス感染拡大の影響もあり、今年は県内の多くの子どもたちが修学旅行の予定地を変更して同館を訪れており、日本語の案内も使い分ける。「『震災遺構』は『震災で被災してそのまま残っている建物』などと震災を知らない子どもにも分かりやすい言葉を使うよう心がけている」と語る。
 熊谷さんは気仙町出身。海の近くにあった自宅は被災し、震災後約50日間は長部地区のコミュニティセンターで避難所生活を送った。幼い頃から家庭では津波の危険について教わり、家族は当日、それぞれ高台に避難したが、入院していた祖父・五郎さんは発災2日後に亡くなり、震災関連死となった。その後は大船渡市猪川町の仮設住宅に数年暮らし、現在の竹駒町に家族が自宅を再建した。
 震災当時、熊谷さんも所属していた合唱部は、復興支援として津波で流失した楽器や楽譜の寄付を受けた。多くの被災者らが身を寄せていた高田第一中の避難所で合唱を披露し、「自分たちで立ち上がり、みんなで元気を出していかなければいけないんだと思った」と振り返る。
 震災1年後、高校2年の春休みには東京都のNPO法人の支援を受け、米国ニューヨーク州でのホームステイを経験。国際交流に興味を深めるきっかけとなり、群馬県立女子大国際コミュニケーション学部に進学後もカリフォルニア州に留学して英語を学んだ。
 人と話すことが好きな熊谷さん。もともと東北で地域と人をつなぐ仕事をしたいと思っていた。全国、世界から受けた支援の恩を「どうしたら返せるか」と考えるようになり、大学卒業後、一度は名古屋市の企業に就職したが、平成30年秋に地元にUターン。昨年度は陸前高田市観光物産協会で勤め、本年度、同館に採用された。
 熊谷正則副館長は「明るく人懐っこい性格で、子ども向けには言葉を使い分けるなどガイドとしての資質が高い。これからの伝承館を背負(しょ)って立つ人材で、いのちをつなぐ未来館(釜石市鵜住居町)の語り部・菊池のどかさん(25)らとともに若手で県の震災伝承を引っ張ってほしい」と期待する。
 世界中で災害が相次ぐ昨今。熊谷さんは陸前高田と世界の懸け橋となって国内外の人たちに「てんでんこ」を伝え続ける。「解説員として震災を発信することによって、復興支援の恩返しをしたい。来館する人たちが次の災害に対し、命を守るきっかけづくりになればよいと思っている」と決意を語る。