英霊174柱の冥福祈る 戦没者の芳名碑を建立 矢作地区遺族会(別写真あり)
令和2年12月1日付 7面

陸前高田市矢作町の矢作地区遺族会(佐藤一彦会長)は11月29日、同町鍋谷の八坂神社境内で新たに建立した同地区の「戦没者芳名碑」の除幕式を行った。終戦から今年で75年。出席者らは戦没者174柱の芳名が刻まれた石碑に、英霊の冥福を祈った。
終戦から75年の節目に
除幕式には、町内の戦没者の親族、家族のほか、同市遺族会、矢作、下矢作、生出各地区コミュニティ推進協議会関係者ら30人余りが出席。同町の天照御祖神社の佐々木美津子宮司が神事を執り行った。
芳名碑は、八坂神社境内にある戦没者慰霊の石碑「忠魂碑」と同じ、石造りの台座上に設置された。除幕のあと、出席者らは玉串奉てんなどを通じて、戦没者のみ霊が安らかであるよう願い、恒久平和の誓いを新たにしていた。
芳名碑の建立は、市内で矢作地区だけ戦没者の氏名が記された慰霊碑がなかったことを受けてのもの。矢作地区遺族会と各地区コミセン関係者ら、町民有志が連携し、終戦から75年の節目に時期を合わせた。
同市小友町の㈱遠藤石材に依頼し、高さ85㌢、幅150㌢ほどの石碑4基を制作。戊辰戦争にはじまり、西南戦争、日清戦争、八甲田雪中行軍、日露戦争、満州事変、日中戦争、太平洋戦争などの戦没者ら合わせて174柱の名前が刻まれた。
建立費用は約420万円で、市の地域交付金を活用した。
芳名碑設置に合わせ、明治41年に町内に建てられ、昭和58年に現在の場所に移された忠魂碑のクリーニングも行われた。
佐藤会長(79)は「遺族会で各地の慰霊碑を回ったときに、矢作だけ芳名碑がないことを申し訳なく思っていた。各地区の方々にご理解をいただき、無事に建立にこぎつけて良かった」と表情を和らげる。
また、「いつまでも平和な世の中が続くように。芳名碑や忠魂碑を見た次世代の人たちが、悲惨な戦争が二度と起きないよう考えるきっかけにもしてほしい」と願っていた。