千葉周作の功績を永遠に 平成4年からの歴史に幕 剣豪顕彰の少年剣道錬成大会で気仙内外の24チーム競う(別写真あり)
令和2年12月8日付 7面

「剣豪千葉周作」顕彰第22回少年剣道錬成大会(剣豪千葉周作顕彰推進委員会主催)は6日、陸前高田市高田町の市総合交流センター「夢アリーナたかた」で開かれた。平成4年から続けられてきた大会は、今回が最終回。剣道関係者らは、礼儀作法を守り白熱の試合を見せた気仙内外の小学生剣士らの明るい未来を願うとともに、これからも同市の偉人・千葉周作の功績が語り続けられることを祈った。
開会式には陸前高田剣道会をはじめ、東北、関東からの計24チームが参加。同推進委員会の金野廣悦会長があいさつしたあと、戸羽太市長が激励の言葉、小笠原宏志県剣道連盟会長が祝辞を述べた。
試合は、4試合場で8組に分けての予選リーグと決勝トーナメントを展開。5人一組のチームを組んだ小学生剣士らが、団体戦で接戦を繰り広げた。
各試合場では、選手らが竹刀を打ち合う音とともに、気迫に満ちたかけ声を響かせた。日々の稽古で磨いてきた技を駆使し、しのぎを削り合った。
決勝では、いばらき少年剣友会(茨城県)が結城尚武館(同)を下し優勝。同剣友会大将の大蔵茉央さん(12)は「最後となる大会に出させてもらい、優勝を飾れたのがうれしい。今後ももっと強くなり、大会に出て優勝したい」と結果を励みにした様子。
気仙で唯一出場した陸前高田剣道会は、予選リーグで敗退。最後の顕彰大会で栄冠をつかむことができなかったが、諦めずに戦い抜いた選手らの健闘を指導者や保護者らがたたえた。
同剣道会の大将・大和田琉衣(るい)君(広田小6年)は、さまざまな人と交流できる地元の大会の終了について「できればもう一度出場したい」と名残惜しげに話しつつ、「これからも、段の獲得などを目指しながら剣道を続けたい」と決意を語った。
千葉周作は寛政6年(1794)に奥州陸前の気仙村(現・陸前高田市気仙町)に生まれたとされ、28歳の時に江戸三大道場の一つ「玄武館」を開設。剣術における北辰一刀流の開祖とし、幕末を代表する剣豪として知られている。
大会は、その功績をたたえるとともに、剣道を通じた青少年の健全育成、体育文化の向上、地域振興の促進などを目的として平成4年に始まった。
東日本大震災が発生した平成23年以降は一時中断したが、25年に「復興大会」として復活。29年まで高田第一中体育館で継続し、夢アリーナが完成した30年からは本来の大会名に戻して開催してきた。
気仙からも剣道スポ少に所属する選手らが参加してきたが、少子化の影響で今後のチーム編成が難しくなる見通しもあることから、同推進委では今大会を区切りとすることを決めた。
大会開催にあたっては、新型コロナウイルスの感染対策を徹底。原則無観客で実施したほか、毎年行われていた開会式の選手宣誓や、玄武館の剣士による公開演武などが省略され、運営関係者らは万全の体制を整えた。
金野会長は「大会は今回で最後となるが、今後も千葉周作を顕彰し、功績を伝える方法を模索していきたい。参加した地元内外の選手らにとって、この大会が楽しい思い出となり、今後の成長につながるように」と願っていた。