復興の伴走者─被災地に寄り添い続けて─⑩越戸浩貴さん(35)=NPO法人高田暮舎=

空き家活用、移住を促進

まちと人の思い〝残す〟

 

 東日本大震災後の人口減少率が今年11月1日時点で20%を超える陸前高田市。越戸(こえと)浩貴(ひろたか)さん=久慈市出身=はNPO法人高田暮舎(くらししゃ)の副理事長として空き家の利活用と移住、定住促進に取り組む。自身も震災後に内陸部から移住し、津波で甚大な被害を受け復興で一変していく陸前高田でまちや人の思いを〝残す〟ことをテーマに地域の伝統行事や郷土芸能にも参画。多様な活動で被災地に思いを寄せ続ける全国の若者と地元住民のつなぎ役としても力を尽くしている。 

 越戸さんは岩手大大学院在籍中に東日本大震災を経験。人文社会科学部の五味壮平教授(情報学・情報デザイン)の授業の一環で、陸前高田市の仮設商店街オープンの手伝いに通い始めた。陸前高田を応援する学生有志チームを結成し、市内の飲食店をストーリー仕立てで紹介する情報誌を作り、県内外に発信した。
 「被災地に関わり続けたい」との思いを強くした越戸さんは、大学院に通いながら勤めていた盛岡市のデザイン系の会社を退職し、平成25年9月に陸前高田市に移住。地元の漁師と一緒に東京へ物販に出掛けるなど、まちの交流人口拡大を目指し、26年夏に「まるごとりくぜんたかた協議会」を発足。28年に「マルゴト陸前高田」として一般社団法人化し、今年3月まで理事を務めた。
 発足当時はがれきが残っていたまちをボランティアで訪れる全国の学生など「思いを持って来てくれる人たちと継続的な関係をつくっていきたい」と飲み食いしながら意見交換すると、「もっと地元の人の生の声を聞きたい」と要望があった。そこで「暮らしを知り、震災を経験した住民の考えや言葉に触れてほしい」と始めたのが民泊。中高生らの「教育旅行」としても事業化し、後に同市に移住するきっかけとなった若者もいる。

 並行して活動してきたNPO法人高田暮舎は29年に発足。市から移住定住総合支援業務の委託を受けている。
 同法人の調査では、市内にある空き家は約750軒に上る。所有者と利用希望者をマッチングする情報登録制度「空き家バンク」で、このうち26軒(10日時点)の物件を紹介。1次産業の担い手不足にも着目し、越戸さんが個人で借りた空き家で、他地域から移り住んだ若者たちが農家や漁師の見習いをしながら共同生活している例もある。
 空き家の増加は独居高齢者の死亡や、登記を巡る問題など多様な要因があり、今年7月からは空き家に関する総合相談窓口を開設。専門業者とも連携し、空き家の売買、賃貸のみならず、管理代行や家財、遺品整理なども請け負っている。
 越戸さんは「空き家を放置すると地価や治安、まちのイメージに影響する。状況に合わせて適切な保守、保全を図り、使える家を残していく事業で、移住、定住促進のためにひも付いていることが大事だ」と強調する。
 自身も小友町の上の坊地区の空き家を27年に譲り受けた。「足元の地域の行事一つ受け継げないのに、まちづくりは語れない」。越戸さんは住民の高齢化などの要因で途絶えてしまっていた上の坊の盆踊りを復活させる「やんべプロジェクト」を立ち上げた。
 地域住民や、震災後のボランティアなどの縁でつながり、陸前高田に思いを持つ首都圏の同年代を巻き込み、29年に実現。今年は新型コロナウイルスの影響で開催できず、オンラインの飲み会のみとなったが、昨年まで毎年継続している。
 気仙町けんか七夕の役員も務め、地域の伝統継承には力を入れる。郷土芸能は津波による道具の流失や、メンバーの高齢化で苦境に立たされている団体も多い。「披露する場がないと練習の場、子どもへの伝承の場もなくなってしまう」と危機感を抱き、三陸国際芸術祭の一環でアーティストが滞在しながら郷土芸能を習うプログラムを手掛け、活動、発信の場をコーディネートしている。
 来年3月で震災から10年。越戸さんは「新しい仕事、価値をつくることが役割だと思ってきたが、この節目にこれまでのまちや人の歩みで起きたこと、伝えていくべきこと、反省すべきことを残す活動も必要になる」と復興過程を振り返る。
 陸前高田で出会った気仙町出身の妻・園佳さん(30)は民泊や空き家活用、盆踊り復活にも共に取り組んできた公私のパートナー。昨年4月に結婚、今年7月に長男・夏ちゃんが誕生し、父親となった。「陸前高田の住人としての自分はまだ始まったばかり」と愛息の育つまちの未来を見据え、幅広く活動を続ける。(月1回掲載)