「備え」と「共助」が命守る 伝承願い記録誌発刊 高田町の上和野町内会 避難所運営の教訓盛り込む

▲ 記録誌を眺め自主運営した避難所の歩みを振り返る千葉さん

 高台にあって東日本大震災津波の大きな被害を免れた陸前高田市高田町の上和野町内会(石川宏会長)は、およそ3カ月間にわたり自主運営した避難所の記録誌『災害から一人ひとりを守る』をこのほど発刊した。きょうで震災発生から9年9カ月。今後想定される大規模災害に向け、教訓の伝承が課題の一つとして挙げられる中、住民が手を取り合って臨んだ避難所運営の記録は、「備え」と「共助」の大切さを発信している。


きょう震災9年9カ月

 

 震災から10年の節目が近づく。「被災地内外で風化が叫ばれるようになった中、自分たちの経験を発信していかねばならないと考えた」──。記録誌発刊のきっかけを語るのは、同町内会の元事務局長で編集作業の中心を担った千葉浩一さん(78)だ。
 同町内会では震災の前年、平成22年に「上和野自主防災会」を組織。住民が持つ技術や知識を踏まえ、消火、避難誘導・情報伝達、救出・救護、給水・炊き出しの4班を編成。元市職員の千葉さんは事務局長に就いた。
 東日本大震災時、被災を免れた集会所「和野会館」を開放。町内にあった市指定の避難所が複数被災した中で、近隣の人々が命からがら駆け込んだ。
 防災会では設立後に訓練も行って有事に備えていたが、「外」からの大人数の避難者を受け入れるという想定はしておらず、千葉さんは「会館開放と避難者受け入れに始まり、臨機応変の対応の連続だった」と振り返る。
 震災当日は午後3時30分に会館を開放。ライフラインは途絶えたが、会館は地元の建設会社が提供した発電機で明かりがともり、テレビからの情報も得られるようになった。精米機も動かせるようになり、住民が寄せた米を炊いておにぎりを作った。
 避難者の名簿も作成。近くに高田小学校があり、わが子の安否の確認に足を運ぶ親も相次いだため、児童が避難していた高齢者福祉施設2カ所へ広報担当者が赴き、その名簿を作って会館にやってきた親たちに伝えるなどの工夫もした。
 こうしてスタートした自主運営の避難所。ピークで1日195人が身を寄せた。「助かった命をつなぎたい」。その一念で自主防災会員が寝泊まりしながら対応にあたったが、長期化によって疲れは積み重なっていった。和野会館は4月いっぱいでの閉鎖を考え、市と避難者との三者で話し合った。
 指令塔の市役所が被災し、当時市内に80カ所余開かれた避難所のうち、およそ7割は地域や施設による自主受け入れで、多くは仮設住宅が建設されるまでの間、それぞれ献身的に避難者を支えた。
 この中、和野会館は避難者による運営協力を得て、延長することを決定。全国の大学やNPOのボランティアによる応援も入り、自主運営のまま6月11日までの93日間にわたって存続した。
 この間の延べ避難者数は4544人、自主防災会員の出役数は延べ1386人に至った。
 93日間の奮闘から千葉さんが学んだことは、事前の「備え」と近所で助け合う「共助」の重要性だ。「町内会のような身近な生活圏の中で議論して防災・減災を考え、そこを基本として町や市全体へと広げていくことが大事だ」と強調する。
 その教訓を広く発信すべく、町内会として10年の節目を前に記録誌の発刊を決めた。避難所運営の細かな数字とともに、携わった住民や避難者の声、ボランティアとして支援した神戸、東北、岩手の各大学生による手記、自主運営避難所の苦境を伝える新聞記事の写しなどを盛り込んだ。
 市の地域交付金制度を活用して500部を作成。先月1日に出来上がり、町内会全世帯や応援してくれた大学、市立図書館などに贈った。
 千葉さんは「記憶だけでなく記録として後世に伝えたい。いまはじっくり読まれなくても、のちに役立つことがあればと思っている」と語る。