たゆまぬ活動に光 文化・景観に誇り持ち──2月15日に顕彰式/第46回東海社会文化賞
令和3年1月5日付 1面


福祉や文化、教育、産業などの分野で地道な活動を続けている個人、団体を顕彰する第46回東海社会文化賞(東海社会文化事業基金主催)の受賞者が決定した。今回は、新酒の完成を知らせる「酒林」を40年近く作り続ける近江一史さん(86)=大船渡市日頃市町=と、住田町世田米の気仙川に架かる昭和橋の草取り活動を長年にわたって行っている地元老人クラブ・愛宕喜楽会(菊池俊夫会長、会員126人)の1団体1個人に決まり、受賞者数は通算72個人51団体となった。顕彰式は、2月15日(月)に大船渡市大船渡町の東海新報社で開かれる。
新酒の完成を知らせる「酒林」を作り続ける 元酒屋勤めの気概を胸に/近江 一史さん(大船渡市)
青々としたスギの葉を直径60~70㌢の球状に束ねた「酒林」。新酒ができたことを知らせるために店頭に飾られる造り酒屋の「看板」だ。
毎年、「日本酒の日」の10月1日が近づくと、近江さんは自宅の納屋でスギの葉をきれいに切りそろえ、球状に編み込んだ針金に差し込んでいく。1個作るのに3~4日かかり、骨が折れる作業だ。
製作した酒林は陸前高田市の酔仙酒造㈱(金野連社長)に贈り、同社の大船渡蔵(大船渡市猪川町)の店先に飾られる。葉の色が緑から徐々に茶褐色に変わっていくにつれて、酒の熟度も増していくという指標になる。
同社のボイラー技士だった近江さんは、在職していた昭和60年ごろから酒林作りに取り組み、平成6年の退職後も毎年同社に贈ってきた。
きっかけは当時の社長から「できると思うからやってみてくれないか」と、作り方の説明が書かれたパンフレットを渡されたことだった。誰から教わるわけでもなく、手探りで作り始めた。「最初は葉をうまく差し込めず、丸い形にならなくて苦労した」と振り返る。
数年すると、針金を球状に編み込んで「かご」を作り、それをベースに葉を差し込んでいく手法を確立。丸みが出るようにほうき形の葉を選び、「材料(葉)をそろえることが基本だ」と語る。
その技術と珍しさが注目され、南部の酒造りの歴史を物語る酒造用具を展示する花巻市の石鳥谷歴史民俗資料館や、東京の西武デパートなどからも注文を受け、送ったこともある。近江さんによると、平成元年ごろに通信販売で売られていた酒林は2万2000円だった。
酔仙酒造は平成23年の東日本大震災津波で設備が流失し、一時は製造を停止した。大船渡市猪川町に大船渡蔵の建造を進め、平成24年8月に完成。復活を果たした。
毎年春に退職した社員も招待される花見で、近江さんは作った酒林の出来栄えを確かめながら飲むのが楽しみだ。
晩酌は日課で酔仙への愛着は深く、「飲まないと一日が終わらない気がする」と笑う。
「衰えたと言われないよう、きちっと作れるうちだ」と謙遜するが、高齢になった今も酒林を作り続ける原動力は「まだ酒屋に関わり続けられている」という〝誇り〟だ。
生活の〝支え〟に感謝込め 昭和橋の草取り続けて30年余/愛宕喜楽会(住田町)
80年以上前から地域住民の生活を支え続ける昭和橋──。気仙川に架かり、多くの地域住民が利用するこの橋で、地元老人クラブ・愛宕喜楽会は30年以上にわたって草取り活動を続けている。
愛宕喜楽会は、昭和20年代、故・中里法貫氏を初代会長に「上町老人クラブ」として設立され、2代目会長である故・横澤栄四郎氏の代に、現在の名称となった。その後、さまざまな地域貢献活動を展開しており、地元の特別養護老人ホーム・すみた荘にも毎年、会員らが持ち寄ったタオルを寄贈するなどしている。
昭和橋の草取りは、5代目会長の故・大和泉良夫氏の代から始まったとされており、少なくとも30年以上前から行われている。
昭和橋は、世田米商店街と役場などがある川向地区を結び、昭和8年に架橋。長さ73㍍の橋は気仙川沿いに立ち並ぶ蔵並みと調和し、歴史や古き良きたたずまいを感じさせる景観を形成。高欄には、太平洋戦争の空襲で弾片が貫通したとされる穴があり、戦争遺産として昭和の記憶を受け継ぐ役割も担ってきた。
現在、世田米中学校は商店街の山手側、世田米大崎地内にあるが、かつては世田米小とともに橋を渡った先の川向地区にあり、多くの子どもたちが通学路として昭和橋を利用していた。
昭和橋の清掃は毎年、全国老人クラブ連合会により「社会奉仕の日」が定められている9月に実施。例年は30~40人、多い年には約50人が参加して、地域生活を支え続ける橋に感謝を込めながら清掃活動に当たっている。
昭和橋は県の治水対策の一環として架け替えが計画されており、仮橋の工事も進む。
これに並行して、新橋設置に向けた周辺の用地整理の手続きも実施中。仮橋完成後は手続きが済み次第、いよいよ現橋の解体に移るため、現橋での活動は昨年で最後となる可能性もある。
昨年は新型コロナウイルスの影響によって草取りは10月にずれ込んだが、会員ら約40人が参加し、長年にわたって生活を支え続けてきた橋への感謝を込め、思い出を語り合うなどしながら作業に励んだ。
10代目となる菊池会長(83)は「会員一人一人が思い入れを持っており、住民にとって欠かすことのできない橋。橋が新しくなっても奉仕活動は続けていきたい」と、地域が誇る景観への思いを語る。