成人式「参加したかった」 復興担う若者の無念と決意 社会人の自覚忘れず あす東日本大震災9年10カ月
令和3年1月10日付 1面
新型コロナウイルスの感染拡大を受け、きょう10日に予定されていた気仙3市町の成人式は、中止や規模縮小に追い込まれた。大船渡市は開催を見送り、陸前高田市では新成人が参加しない形での式典・記念行事を計画。住田町では新成人を招くが、簡素化を図る。東日本大震災に襲われた時は、小学4年生だった世代。仮設校舎で授業を受け、仮設住宅整備などでグラウンドでの活動が満足にできない苦難も味わってきた。あす11日で発災から9年10カ月を迎える中、未来を担う若者は、さまざまな思いを寄せる。
本年度、大船渡市成人式実行委員会で委員長を務める熊谷颯也(そうや)さん(20)=赤崎町。本来ならば、リアスホールの大ホールで、新成人を代表して抱負を述べるはずだった。
「今年は、東日本大震災から10年の節目を迎える年。震災の教訓が風化することのないよう、次世代につないでいきたい」。
用意していた原稿は、ステージ上で読まれることはなく、10日から特設ホームページ上で公開される。原稿を一部修正し、中止に対する心境も加えた。
「『悔しい』というのが正直な思い。しかし、私たちは、式典の有無にかかわらず、社会の一員として一歩を踏み出さなくてはならない」。無念さと、成人としての責任が入り交じる。
熊谷さんは蛸ノ浦小から赤崎中、大船渡東高に進み、一昨年から橋爪商事㈱で勤務。震災に襲われた10年前は、ランドセルを背負っていた。「あの時は、流されたままの家の残骸を見ることしかできなかった。今は、仕事で復興事業の現場に資材を提供し、元のまちに戻っていくのを見ることができ、うれしく思う」と語る。
震災で赤崎中は被災し、入学から卒業までの3年間、フレアイランド尾崎岬に整備された仮設校舎で過ごした。新校舎完成に伴い、思い出が詰まった学びやは解体された。
一緒に過ごした同級生の心の中に残り続ける、プレハブ校舎の記憶。顔を合わせ、笑いながら振り返る日を楽しみにしていた。
成人式の実行委員会は、市内各中学校の卒業生ら約20人で構成。昨年8月に最初の会合を設け、10月の段階では開催の方向で準備を進めていた。
その後、全国で感染者が急増し、12月に市関係者と協議の場が設けられた。「これまで通りの開催は厳しいかもしれない」と打診を受け、延期や実行委員だけの出席に絞った形での開催は希望せず、数日後に中止が決まった。
熊谷さんは「一生に一度であり、やりたかった。でも実行委員長とすれば『もしも…』が頭をよぎる。何かあった時に、自分たちだけの問題ではなくなる。妥当とは思う」と振り返る。
中止決定後も、実行委員の間で「LINE」でのやり取りを続け、「可能であれば延期してほしい」との意見も多い。市側に思いを伝えたが、実現は難しい。
今は、新成人の多くが直接顔を合わせる機会は見通せないが、熊谷さんは社会の一員として前を向く。「人を支え、助ける人間になりたい」と力を込める。
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陸前高田市は10日、新成人の参加を見合わせ、式典・記念行事の様子をインターネットでライブ配信する。9日はリハーサルが行われ、関係者が当日の流れを確認した。
成人式の実行委員長を務めるのは、広田町の吉田怜央さん(20)。高田高を卒業した一昨年春、震災をきっかけに夢に描いた同市消防本部の消防士となった。
看護師として働く母の影響を受け、もともと命を守る仕事に憧れていた。小学4年の時に震災を経験し、災害現場の最前線で人を助ける消防や警察、自衛隊の活動も見てきた。「働くならば大好きな地元で。それなら消防士だ」。小学生時代に将来の夢が決まった。
自宅そばの高台から見た津波が押し寄せる光景を今も鮮明に覚えている。「ものすごい勢いで、何も考えられなかった」。広田小のグラウンドには応急仮設住宅が整備され、所属していた野球スポ少の練習は、町内の畑などで行ってきた。
昨春、市消防本部予防係に配属され、野球場やサッカー場が入る高田松原運動公園、気仙町今泉の商業施設などの完成検査に立ち入った。「野球場は電光掲示板が設置され、素晴らしい施設が地元にできた」と喜ぶ。
一度きりの成人式は、コロナの影響でオンライン実施となった。「県外で暮らす同級生と会える機会だったので残念」と話す一方、「みんなそれぞれの道で頑張っている。大人としての自覚を持ちたい」と前を向く。「消防士として覚えることはたくさんある。人を助けるための知識習得を頑張る」と決意する。