祭壇に「一本松」との写真、巨匠バイオリニスト・ギトリスさん逝去、東日本大震災で陸前高田と縁

▲ 埋葬の場に供えられた奇跡の一本松とギトリスさんの写真=昨年12月30日、バハン・マルディロシアンさん撮影

 世界最高齢バイオリニストとしてクラシック音楽界に影響力を与え続けた巨匠イブリー・ギトリスさんが昨年12月24日、98歳で亡くなった。東日本大震災直後、本県などの被災地に幾度も足を運び、慈善演奏を展開。パリの墓地に埋葬される際には、陸前高田市の「奇跡の一本松」と自身が写っている写真が供えられた。写真の撮影者は盛岡市みたけ4丁目の主婦・太田信子さん(77)。「被災地に思いを寄せ続けたギトリスさんの魂は、永遠に生き続ける」と旅立った巨匠に感謝の意を伝えている。

 ギトリスさんは大震災直後の2011年(平成23)5月、フランスから単身来日。慈愛に満ちた演奏と言葉が共感を呼んだ。震災から1年後の2012年3月、陸前高田市で行われた県と同市の合同慰霊祭に招かれ、献花の際に演奏をささげた。

 

最期まで被災地思う

 

 写真を趣味としていた太田さんがギトリスさんを撮影したのは、この合同慰霊祭当日のこと。「無意識のうちに『被災地で写真を撮らなければ』という不思議な使命感が湧き起こった」と当時を振り返る。

 写真仲間3人と陸前高田市に向かい、「奇跡の一本松」の近辺を歩いていたところ、松のほうからバイオリンの音色が聞こえてきた。あまりにも美しい音色に、心が奪われたという。ほどなくカメラを構え、一本松を背後にギトリスさんとの対比をバランスよく縦位置で収めた。

パリの自室でバイオリンを奏でる生前のギトリスさん=2016年2月16日、小川英知香さん撮影

 「そのときは、ギトリスさんの名前も経歴も全く分からなかった」と太田さん。世界的巨匠であることを知ったのは、翌日の新聞でだった。
 太田さんは日本財団が主催するフォトコンテストに「レクイエム」のタイトルで写真を応募。見事グランプリの栄冠を手にした。さらに、ギトリスさん本人との交流機会にも恵まれた。2016年には、パリにあるギトリスさん宅を訪問。部屋の壁には太田さんの写真が飾られていた。

 写真は、パリ市庁舎で開かれた震災復興関連のイベントで大きなパネルにプリントされて展示されるなど、さまざまな場面で活用された。太田さんは「皆さんに『価値ある一枚』と評価された。写真がまるで一人の人間のように、あちこち動き回って被災地とギトリスさんの思いを伝えているかのようだ」と話す。

 ギトリスさんのまな弟子で、日本フィルハーモニー交響楽団のソロ・コンサートマスターを務める木野雅之さん(57)=東京都世田谷区=も、本県被災地での慈善演奏に取り組んだ。2018年には、県が主催した平泉町・毛越寺での「いわて〝復興の絆〟コンサート」で、師弟共演を果たすはずだったが、ギトリスさんの体調不良のためコンサートは中止に。再来日を願い続けたが、かなわなかった。
 木野さんは「先生は世界中のありとあらゆる紛争を目の当たりにしてきたこともあり、その行動や演奏には人間愛や平和への願いが込められている。生の音楽の持つ力を信じ、先生の思いを少しでも受け継いでいきたい」と語る。
 パリ市東部のペール・ラシェーズ墓地で行われた埋葬の際には、自室に掲げていた太田さん撮影の写真が供えられた。木野さんは「ショパンやビゼー、ラロ、ロッシーニなど名作曲家たちが眠る素晴らしい墓地。向こうの世界できっと楽しくやっているはず」と冥福を祈る。
 【イブリー・ギトリスさん】1922年イスラエル生まれ。5歳でバイオリンを始めた。パリ音楽院を首席で卒業。超絶技巧の天才奏者として世界的に高い評価を受ける。独特の解釈による大胆な音楽表現が特色だった。演奏の傍ら和平活動にも強い関心を示し、ユネスコ親善大使も務めた。「日本は第二の故郷」と自ら語るほどの親日家だった。