創造的復興へ強い決意 ──夢や希望かなえるまちに── 戸羽太市長 在任10年
令和3年2月14日付 1面
陸前高田市の戸羽太市長(56)=高田町=は、13日で市長在任10年を迎えた。平成23年2月に就任し、地域の発展へ手腕が問われていた中で、3月に東日本大震災が発生。まちが壊滅的な被害を受け、自身も家族を亡くした絶望的状況での陣頭指揮に迫られた。震災と向き合い続けてきたこの10年で、復旧事業は一定のめどがついたが、「人口減少、かさ上げ地の未利用地解消など課題は多い」と冷静に語る。一方で「夢や希望をかなえるまちとしての伸びしろがあり、しっかり形にする。創造的復興へこれからが正念場」と展望する。3期目の折り返しを迎え、「残り2年間一生懸命仕事をする」と抱負を述べた。
未利用地解消にも意欲
戸羽市長は8日、東海新報社の取材に応じた。「震災と向き合うのが最大の仕事となった。当初戸惑いもあったが、たくさんの人の応援に支えられた。一つ一つを思い出すと長かった気がする。それでもやはり、あっという間という感覚だ」とこれまでの歩みを振り返る。
被災者の生活再建が進み、ハード整備は一部を除いて年度内に終える。昨年は市民文化会館「奇跡の一本松ホール」や高田松原運動公園などの公共施設が利用を開始し、今年7月には市民待望の高田松原海水浴場が復活する。
戸羽市長は「まちは当初思い描いてきた形になってきた」と総括しながら、「復興完遂という段階にはまだ至っていない。まちの土台が整ってきたことで関心を寄せる外部企業などがあり、誘致を進めていきたい」と気を引き締める。
高田、今泉両地区の土地区画整理事業用地は約300・で、山を切り崩す高台造成と浸水地をかさ上げする大規模な工事を展開。宅地の引き渡しは、今年1月にすべて完了した。
同事業を含む同市震災復興計画(23年12月策定)で最重要視したのが「安全・安心」。「かさ上げ地をここまで高くする必要があったのかなどと指摘も受けるが、何より大事なのは人命。いかに減災できるか、安心して住めるかを、まちづくりの根底に据えた」と説明する。
そのうえでスピード感を求めたものの、同事業では地権者との合意形成に時間を要し、被災者の生活再建など刻々と変わる状況に応じた計画の大幅変更ができない現行制度に悩まされた。事業長期化でかさ上げ地は未利用地が目立つ。「空き地は現実にあり、大きな課題と受け止めている。すぐに解消するのは難しいが、利活用につなげるため、まちのにぎわいを創出していく」と語る。
性別や年齢、障害の有無などあらゆる垣根を越え、誰もが住みよいまちを目指す「ノーマライゼーションという言葉のいらないまちづくり」を訴え続けてきた。「まだまだ浸透していないが、われわれがお願いしなくても障害者やさまざまな理由で生きづらさを抱える人が活躍する場を考えてくれる企業や団体が増えてきた。誰一人取り残さない住みよい環境が目に見える形で増えていけば、きっと理解が広がる」と信念を貫く。
県内第1号となる国の「SDGs未来都市」に選定され、環境に優しい低速電動バス「グリーンスローモビリティ」の本格導入を探る。市民との交流などを縁にIターンする若者も多く、「心から歓迎すべきこと。移住・定住促進の入り口となる交流人口の拡大に力を注ぐ」と意気込む。
3期目任期は残り2年。人を呼び込む観光施設や商業施設ができ、被災跡地を同市の花「ツバキ」で彩ろうという取り組みなど住民主導の活動も動き出した。
「さまざまな企業や団体、個人がまいてきた復興への種がようやく花開いてきた。夢や希望を持つ可能性、伸びしろがこのまちにはあり、それを形にする創造的復興こそ、残り2年間の私の仕事」と先を見据える。「政治は結果だ。将来の陸前高田の礎を築く」と決意を新たにする。
戸羽氏は、神奈川県足柄上郡松田町生まれ。民間企業に勤務し、平成7年の陸前高田市議選に初当選し、連続3期。19年同市助役に選任され、翌月から22年12月まで副市長を務めた。翌年2月の市長選に初当選し、27年に再選。31年2月の市長選は、5票差で新人との一騎打ちを制した。
市長の在任期間が10年を超えたのは、3代目・熊谷喜一郎氏、4代目・菅野俊吾氏に続いて3人目。任期は、令和5年2月12日まで。