忘れない─鎮魂の祈り深く 東日本大震災発生から10年

▲ 震災犠牲者らを悼み、小さな子どもも一緒に折り鶴を流した(11日午後2時56分撮影)

折り鶴に思い乗せ、大船渡町の本増寺、海岸で慰霊法要


 大船渡市大船渡町の本増寺(木村勝行住職)による東日本大震災慰霊法要は11日、同町内で執り行われた。参列者らは、サン・アンドレス公園前の岸壁で海上に折り鶴を流すなどして、震災犠牲者の冥福を祈った。
 同寺の慰霊法要は、平成24年から毎年実施。寺や同岸壁で法要を行い、震災犠牲者らの鎮魂を願っている。
 この日は約100人が参列。寺で慰霊法要を執り行ったあと岸壁に移動し、地震が発生した午後2時46分、海に向かって黙とうをささげた。
 その後、木村住職らの読経が響く中、参列者らは焼香を行い、祈りを込めて作られた約1200羽の折り鶴を船着き場から海に流した。海へと帰っていく折り鶴に、参列者らは亡き人への慰霊の思いはもちろん、10年前の震災を風化させないという決意、これまでの復興の歩みも報告しながら手を合わせた。
 末崎町の山本ミヨさん(72)は、「震災で亡くなられた方々が心を落ち着かせ、天国で安らいでもらうようにとの思いで折り鶴を流した。いただいた命を大切に生きていかなければ」と話し、折り鶴が流れる海を見つめていた。
 法要には震災後、同寺を拠点に医療支援活動を行った日本オリンピック委員会(JOC)の関係者ら6人も参加。このうち、平成4年アルベールビルオリンピックのスピードスケート男子500㍍で銀メダルを獲得した黒岩敏幸さんと、20年北京オリンピック新体操代表の田中琴乃さんは、参列者と交流も図りながら一緒に折り鶴を流した。
 同寺はこの日の夜、同町の夢海公園でスカイランタン実行委員会とともに熱気球・スカイランタンの打ち上げも行った。


福井と追悼の思い結ぶ、陸前高田・希望の灯り、オンラインで同時黙とう

 

オンラインで福井県の18カ所とつなぎ、午後2時46分に合わせて黙とうする藤原さん㊨ら

 東日本大震災後に陸前高田市に支援に入った福井県社会福祉協議会は11日、同県内18カ所に東北の復興を願って制作された越前焼の燭台(しょくだい)に灯をともし、同市小友町の気仙大工左官伝承館前に設置されている「3・11希望の灯り」をオンラインで結び、陸前高田市民とともに鎮魂と追悼の祈りをささげた。互いにメッセージを送り合い、震災を機に生まれた絆を温め、心をつないだ。
 同県社協の職員らは新型コロナウイルスの影響で陸前高田市への来訪は見送ったが、同日、藤原直美さんが希望の灯りから採火するのに合わせ、同県18カ所の燭台に点火。ちょうど10年前に地震が発生した午後2時46分に合わせ、同県と結んで黙とうした。
 3・11希望の灯りは阪神淡路大震災で被災した神戸市にある「1・17希望の灯り」から分灯され、平成23年12月に設置された。震災当時広田町第9区長として、支援に入った職員と親交のあった藤原さん(77)や地元住民など約40人が集った。
 同県社協は震災直後の平成23年3月から9月まで、延べ900人超の職員を派遣。訪れた保健師や医療関係者は、藤原さんとともに広田町の避難所や高齢者宅を回り、健康管理などをサポートした。
 同伝承館を運営する箱根振興会の会長を務める藤原さんは当時を振り返り、「先の見えない暗闇の中でもがき苦しんでいた時にいただいた温かい支援や励ましの言葉で生きる力が生まれた。命の尊さ、人が人を支え共に生きることを胸に刻み、自然災害の教訓をつないでいく拠点としての活動をしていく」と画面を通じて感謝と決意を示した。
 同県社協の北慶一専務理事は「(震災10年を)まちとまち、人と人がつながることの素晴らしさを感じる機会にしたい。新型ウイルスが収束したら陸前高田を訪れ、つながりを実感したい」と返答した。
 同市の復興状況を伝える写真なども画面で共有した。藤原さんは「気持ちがつながった。(同県社協の職員に)当時お世話になった高齢者は、10年の間に亡くなった人もいる。その人たちに代わってお礼を言いたい。新型ウイルスが収束したら、陸前高田のまちも見に来てもらい、行き来してつながり続けたい」と思いを込めた。

 

教訓込めた園歌斉唱、大船渡保育園、海に向かって合掌も

 

海に向かって手を合わせ、震災の教訓が込められた園歌を歌う園児たち(11日午後2時51分撮影)

 大船渡市大船渡町の大船渡保育園(富澤康磨園長、園児184人)で11日、園児たちが「津波が来たら高い所へ逃げる」という教訓が込められた園歌『さかみちをのぼって』を歌った。園児たちは午前中に避難訓練を行い、発災時刻には海に向かって合掌するなど、10年の節目に防災や震災犠牲者への思いを新たにした。
 同園の園歌は震災後に作られ、千住明さんが作曲、覚和歌子さんが作詞を手掛けた。歌詞には「津波が来たら高いところに逃げる」という教えを100年後にも語り継ぐ願いも込められている。
 この日は4、5歳児と保育士ら約90人が園庭に集合。園児たちは保育士から10年前の保育園の様子や、津波によって建物が流され、大事な命も失われたことなどを聞いたうえで、午後2時46分に合わせて海に向かい合掌した。
 続いて、保育園から見える風景に震災の教訓を織り込んだ園歌を斉唱。復興が進む街並みに元気な歌声を響かせた。
 午前中の避難訓練では、大きな地震が発生し、大津波警報が発表された想定で行動。机の下に潜るなど安全を確保したあと、高台の民家へ全員で逃げた。
 富澤基子理事長(76)は「心を込めて作詞作曲してもらった園歌なので、どこにいても津波の時は高台に逃げることを思い出してほしい。教訓だけでなく保育園からの景色も歌われているから、大きくなっても保育園のことを思い出すきっかけにしてくれたら」と話し、「園歌だが園の名前は入っていない。教訓を心に刻むため、園関係者だけでなく世の中に広く伝わってほしい」と願っていた。

 

「半鐘」の音響く、猪川町の長谷寺、追悼法要営む

 

宮城住職(左端)の鐘の音に合わせて祈りをささげる参列者ら(11日午後2時46分撮影、電子新聞に別写真あり)

 大船渡市猪川町の龍福山・長谷寺(兼務住職・宮城隆照長圓寺住職)で11日、東日本大震災犠牲者の追悼法要が営まれた。午後2時46分には、今月に入って同寺本堂に設置された「半鐘」を鳴らし、参列者らが亡き人に思いを寄せた。
 この半鐘は、奥州市江刺の愛宕山・興性寺の司東和光住職を介して、東京都八王子市の高尾山薬王院から寄進されたもの。
 震災後から被災地の仮設住宅などを巡り、復興支援活動を展開している司東住職のもとに薬王院から浄財が届き、司東住職はそれを活用して「気仙三観音」と呼ばれる、長谷寺、陸前高田市小友町の常膳寺、矢作町の観音寺に半鐘を贈ることを決めた。
 「為東日本大震災殉難者追福菩提也」「為被災地復興万民二世安楽也」と刻銘されており、震災犠牲者の追悼と被災地の復興への願いが込められた。長谷寺には今月6日に設置され、震災から10年となった11日の法要に合わせて半鐘の打ち初めを行うこととした。
 法要には総代役員や地域住民ら約20人が参列。宮城住職による読経が行われたあと、震災発生時刻を告げるサイレンとともに半鐘を鳴らした。参列者らは、サイレンと鐘の音が響き渡る中、手を合わせたり、静かに目を閉じながら黙とうをささげた。
 同寺では、戦争時の金属供出によって梵鐘や半鐘が回収された経緯があり、半鐘が設置されたのは約80年ぶりという。
 鐘に合わせて黙とうをささげた田村長平総代長(84)は「あの大惨事から10年がたち、それぞれが抱える思いがあると思う。残されたわれわれは、この出来事を教訓として胸に刻み、犠牲者の冥福を祈るとともに、災害への備えをしていかなければならない」と気を引き締めた。

 

小友地蔵尊に手合わせる、中尊寺奥山貫首と陸前高田市民ら

 

中尊寺の奥山貫首とともに鎮魂と復興を祈る参列者ら(11日午前10時51分撮影)

 陸前高田市小友町字茗荷地内にある「小友地蔵尊」では11日、東日本大震災の犠牲者を悼む法要が営まれた。10年間にわたって月命日の法要を続けてきた平泉町の中尊寺から奥山元照貫首(61)らが訪れ、集まった人々とともに鎮魂と復興を祈った。
 小友地蔵尊は箱根山に向かう市道沿いにある。震災1カ月後の平成23年4月、近くに住む志田勘一郎さん(76)、愛子さん(72)夫妻が献花台を置いた場所に設けた献花台が前身。
 小さな愛らしいお地蔵さまは、24年に大阪府堺市の一般社団法人から贈られたもの。27年夏には中尊寺などの協力であずまやが設けられた。献花台が置かれたころ、ここを初めて訪れた中尊寺金剛院住職の破石澄元(70)さんが、毎月11日に足を運んで志田さん夫妻ら地域住民と法要を営んでいる。
 震災から10年となった同日は、奥山貫首や破石さんら中尊寺関係者と市民など約30人が参列。奥山貫首の読経に合わせ、静かに合掌しながら亡き人の冥福と市の復興を願った。
 奥山貫首は埼玉県出身で昨年7月、中興29世貫首に就任。震災10年の節目に集まった参列者には、「この10年が早かった、長かったという両方の気持ちをお持ちだと思う。皆さんがそれぞれの人生を歩んでいくことも、災害で命を失われた方の供養となる。悲しみを分け合い、楽しいことは2倍3倍にして過ごしていただきたい」と呼びかけていた。

 

「浦安の舞」奉納も、県神社庁気仙支部、大船渡で震災物故者慰霊祭

 

「浦安の舞」も奉納された慰霊祭(11日午前11時28分撮影)

 県神社庁気仙支部(長谷川瑞彦支部長)は11日、大船渡市大船渡町の市魚市場で東日本大震災物故者慰霊祭を行った。気仙地区内の神職が参列して鎮魂の祈りをささげるとともに、神楽舞の「浦安の舞」も奉納された。
 同支部では、犠牲者のみ霊を慰めるとともに早期復興への願いを込め、震災半年後の平成23年9月11日に慰霊祭を行って以降、大船渡、陸前高田両市の海岸などで毎年3月11日に続けている。
 本年度は新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から、参列は神職らに限定。大船渡湾を一望できる市魚市場の3階会議室に祭壇が置かれ、約30人が参列した。
 黙とうに続き、清く穏やかな世であるよう願う大祓詞(おおはらえことば)に全員で声を合わせた。引き続き、長谷川支部長=盛町・天照御祖神社宮司=らが玉串をささげた。
 本年度は、盛岡八幡宮のみこによる「浦安の舞」も奉納。窓越しには、好天の下で輝く海原が広がる中、平穏な世を願う舞が繰り広げられた。
 長谷川支部長は、23年以降に各地で行われた慰霊祭を振り返りながらあいさつ。「私たちの祖先は、自然の中に神を見いだし、自然の中で生活を営んできた。しかし、時には、荒ぶる神となり、災いをもたらすこともある。自然の神々が再び荒ぶることなく、平穏でありますように」と述べた。