亡き人へ変わらぬ祈り 県、市合同で追悼式 コロナ禍受け2会場で

▲ 地震発生時刻に合わせ、黙とうをささげる参列者=奇跡の一本松ホール(11日午後2時46分撮影)

 東日本大震災発生から丸10年を迎えた11日、陸前高田市気仙町の高田松原津波復興祈念公園と高田町の市民文化会館「奇跡の一本松ホール」で、県と市の合同追悼式が営まれた。新型コロナウイルス感染拡大防止のため、会場を2カ所に分ける異例の対応となった。あれから10年。参列者約480人が亡き人に思いをはせ、弔いの祈りをささげた。(5面に関連記事)

 

480人参列

 

 コロナ禍収束の見通しがつかないまま迎えた節目の11日は、朝から穏やかな青空が広がった。式典は2会場ともに午後2時30分から行われた。
 津波復興祈念公園の国営追悼・祈念施設では、県、市の来賓約80人が参列。東京・国立劇場で行われた政府主催の追悼式の中継映像が会場スクリーンに放映され、同2時46分に合わせ、参列者全員で黙とうした。
 達増拓也知事は式辞で「10年を経てますます募るご遺族の深い悲しみを思うと、痛恨の思いと哀惜の念に堪えない。津波の教訓を伝承するとともに、復興に向けた歩みの中で得られた多くの絆を大切にし、ふるさと岩手を築いていく」と誓いを新たにした。
 戸羽太市長は「10年を迎えることで『節目』という言葉が頻繁に使われるが、被災地には、そして遺族には『節目』などないのかもしれない。犠牲となった方々のことを忘れず、その思いを大切にしながら陸前高田に明るい未来がもたらされるよう全力で頑張っていく」と決意した。
 同市出身で、津波で両親と祖母を亡くした盛岡市の会社員・丹野晋太郎さん(25)は、遺族代表の追悼の言葉を述べた。「生きている限り、一人ではなくたくさんの人が周囲にはいて、互いに助け合っている。家族や周囲の人に日々感謝し、その存在は決して当たり前ではないということを知ってほしい」と願った。
 公園内防潮堤上の「海を望む場」で手を合わせた一関市の会社員・千葉一志さん(58)は、「親しい人を亡くした陸前高田出身の知人もおり、立ち寄らせてもらった。陸前高田は津波、一関は(岩手・宮城内陸)地震の大きな被害を受けたが、隣町同士、住みやすい街になれば」と話していた。
 奇跡の一本松ホールには、一般向けに献花台が設けられた。遺族らが訪れ、花を手向けたあと鎮魂の祈りをささげた。
 長女と長男の嫁を亡くした高田町の農業・新沼秀二さん(78)は「献花するときは、助けてあげられなくて申し訳ないという思いで、2人の冥福を祈った。震災当時の記憶はあの日のまま、今も変わらないが、孫たちの成長に励まされながら10年を過ごした。これからもできる限り、追悼式には足を運びたい」と話した。
 県総合防災室のまとめによると、同市の死者は1557人、行方不明者は202人。震災による負傷や持病の悪化などで亡くなった人(関連死)は49人。津波による全半壊家屋は4047棟に上った。
 県と市合同の追悼式は、平成24年以来2回目。犠牲者を追悼し、教訓を伝承する津波復興祈念公園を会場とするのは今回が初めてとなった。