14日に見習い騎手デビュー 三陸町越喜来出身・熊谷さん NZでライセンス取得

▲ 調教している競走馬とともに笑みを浮かべる熊谷さん㊧。右は調教師のオサリバンさん

トライアルレースに出走する熊谷さん(手前、昨年8月)

 大船渡市三陸町越喜来出身で、ニュージーランド(NZ)北島のワイカト地方在住の熊谷勇斗さん(25)は14日、同国で「アプレンティスジョッキー」(見習い騎手)としてデビューする。騎手になりたい一心で単身で3年前に同国に飛び込み、厩舎(きゅうしゃ)に所属しながら夢を追いかけてきた。自らの強い意志で夢をつかみ、飛躍を誓う熊谷さんは、新型コロナウイルス禍で活動の制約を受ける地元の子どもたちにも「夢を諦めないでほしい」とエールを送る。

 

コロナ禍も「夢諦めないで」

 

 祖父の故・芳三郎さんが地元越喜来の牧場で牛を飼育し、出荷していた影響もあり、熊谷さんは幼い頃から動物が大好きだった。小学生時代は内陸部へ1人でカウボーイキャンプに出かけ、家族とともに県内の競馬場を訪れたこともある。
 幼少期は芳三郎さんの牧場を継ぎたいと考えたこともあったが、平成23年、大船渡一中3年の時に東日本大震災が発生。牧場は東京電力福島第一原発事故による放射能の影響で閉場を余儀なくされ、その年に芳三郎さんも亡くなり、将来像は崩されてしまった。
 転機は突然訪れた。平成24年10月、フランスで開かれていた競馬の第91回凱旋門賞のレースで、日本馬のオルフェーヴルがフランスのソレミアにゴール直前で差された逆転劇の瞬間をテレビで見て興奮を覚えた。「ジョッキーになりたい」。
 熊谷さんはバレーボールのスポーツ推薦で進んだ宮城県気仙沼市の東陵高校を卒業後、千葉県の馬の専門学校「アニマル・ベジテイション・カレッジ」に進学。馬の扱いを学び、オーストラリア・シドニーの牧場で約半年間研修も積んだ。得意ではなかった英語にも徐々に慣れ、海外でも生活できる自信を得た。
 母・祐子さん(52)が「真っすぐで前向きな性格。自分で決めたら聞く耳を持たない」と語るように、熊谷さんは平成30年1月、何のよりどころもないまま、NZに乗り込んだ。「ジョッキーになりたい一心で『行くしかない』と思った。何も心配はなかった」と当時を振り返り、笑う。
 日本で騎手を目指すには、中学校を卒業すると競馬学校に入ることが登竜門とされ、年齢や体格など条件が厳しいうえに競争率も高く、狭き門。日本に比べると門戸が開かれていたNZに目をつけた。
 厩舎を訪ね歩き、「ジョッキーになりたい」とひたすらアピールして歩いた。同国の元名騎手で調教師のランス・オサリバンさんに熱意が認められ、同国では名門の厩舎「ウェクスフォード・ステーブルス」に所属した。
 午前3時ごろには起床し、馬の世話や調教をしながら昨年8月以降は競走馬に乗り、アプレンティスジョッキーやシニアジョッキーたちとトライアルレースの経験を積み、ライセンスを取得した。
 コロナ禍が直撃し、昨年3月下旬から5月上旬までは同国でロックダウン(都市封鎖)も経験。馬に触れられない期間もあったからこそ、「やりたいことができている幸せを感じる」とかみしめる。
 今後4年間の見習い騎手の間は、レースを積みながら所属する厩舎からも給与が支給されるが、その後シニアジョッキーとしてデビューを果たすと自分の力だけでレース賞金を稼ぐようになり、晴れて〝一人前〟となる。
 夢の出発点に立った熊谷さんは「やりたいことをやらせ、応援してくれている家族に感謝している。レースで勝ち、遠いNZから明るいニュースを届けたい」と力を込める。
 地元の子どもたちに向け、「自分が中高生の頃は海外で働くことは考えもしなかったが、コロナ禍でも広い視野を持って、夢を諦めないでほしい」と願う。