東日本大震災10年 復興再点検②/「高台へ、より早く」 受け継がれる先人の願い 本紙調査にみる被災者の教訓

▲ 陸前高田市の中心市街地。手前の被災した建物を残し、公共施設や家々は高台に移った

 「地震があったら津波の用心」「津波が来たら高い所へ」「低い所に住家を建てるな」──。明治29年と昭和8年の三陸大津波、同35年のチリ地震津波で大きな被害を受けた大船渡、陸前高田両市には、教訓を後世へつなごうと先人が設けた碑の類いが残り、警句を発し続ける。東日本大震災10年を機とした本紙調査からは、未曽有の被害を経験した「いま」の人々も、「より早く高台へ」という先人の願いを受け継ぎ、次代へつなごうとする思いが浮かび上がる。


 東海新報社は震災10年の節目を機として、被災者向けの災害公営住宅に暮らす世帯と防災集団移転地などに住宅再建した2394世帯(人)にアンケート調査を今年1月に実施。836人からの回答を得た。
 この中では、津波常襲地として語り継がれてきた教訓は、未曽有の被害をもたらした東日本大震災を受け、変化したのか、それともその重みを増したのかを探るべく、「震災から得た教訓はあるか」の問いを設けた。
 「ある」と答えたのは7割超の616人。以下は「分からない」141人、回答なし50人、「ない」29人と続いた。
 「ある」と答えた人には、その教訓は何かも尋ねた。およそ25%にあたる153人が、地震や津波注意報・警報があった際に「高台」あるいは「高いところ」「上」へ避難することの大切さをつづった。高台に限らず「避難」や「逃げる」ことでくくれば、8割近くの回答者が、先人からの言い伝えの重要性を実体験をもって伝えている。
 その中にあって、「戒め」も相次いだ。安全であるはずの避難所が悲劇を招いた、まさに想定外の事実を受けてのことだ。
 陸前高田市がまとめた東日本大震災検証報告書によると、震災当時に津波避難場所として指定していた1次避難所は、67カ所のうち38カ所が浸水被害を受け、このうち9カ所で推計303~411人が犠牲になったと記す。
 この1次避難所は、平成16年度に県が公表した津波浸水予測図に基づき、18年度までに地域防災計画を見直して設定。津波の予想高さをみると、130~170人が犠牲になったとみられる市民会館では「50㌢以上1㍍未満」だったが、実際はこれを大きく超えた。
 「避難所は必ずしも安全な所ではない」(陸前高田市、40代男性)、「過去の災害を最大規模と考えないこと」(同市、70代男性)、「想定外は、ある」(同市、50代男性)、「チリ地震津波を基準として動いたのは誤りだった」(大船渡市、80代男性)──。こうした回答の数々には悔しさすら浮かんで見える。
 東日本大震災後も大規模災害が相次ぎ、南海トラフや日本海溝・千島海溝での巨大地震と津波発生にも警鐘が鳴らされている。アンケートでは、今後想定される大規模災害に向けて必要な備えは何かについても尋ねた。
 回答は項目の複数選択で、もっとも多かったのは「防災品や食料などの備蓄」で523件。このほかは「医療体制の強化」365件、「避難訓練や防災教育」363件、「教訓の伝承」275件、「堤防や道路などのインフラ整備」271件、「コミュニティーの強化」239件などと続いた。
 このほかに、避難時における「てんでんこ」の考え方の大切さ、家族間での連絡体制や持ち出し品といった事前準備の重要性などについて認識を改めたという、多くの声が寄せられた。
 「低い所に住家をたてるな」を体現するかのように、両市では災害危険区域が指定された。インターネットを活用したものなど、情報伝達や避難の迅速化を促すツールも充実してきた。防潮堤や道路をはじめとするインフラは、過去に比べて高さや強さを増して生まれ変わった。それでも、いつどのような規模でやってくるか分からない津波に対しては、万全の対応とはなり得ない。
 「これからの子どもたちには、つらくて悲しい思いをしてほしくない」(同市、40代女性)──。そんな願いをかなえるためにも、先人がしてきたのと同じく、節目いかんを問わず語り継いでいくことが、いまを生きる「経験者」に求められる防災・減災への努めなのではないだろうか。
 (随時掲載)