ラッパ隊の起源 矢作に 消防団活動に欠かせぬ存在 青年団ブラバンが元祖

▲ 陸前高田市消防団矢作分団ラッパ隊OBの村上さん㊨と菅野さん

昭和27年、矢作村青年団ブラスバンド結成当時の写真。後列左から2人目が村上清さん

 消防団の出初め式や春・秋の消防演習などの際、規律ある音色を響かせ、団員たちを鼓舞するラッパ隊。市、町単位だけでなく、かつては分団別にラッパ隊が存在していた。気仙地区においては戦後、陸前高田市矢作村(現在の矢作町)の青年団活動として行われていたブラスバンドが近隣のラッパ隊の元祖ともいわれ、大船渡市や住田町の分団にも演奏指導に行っていたことが分かっている。当時の関係者は「ラッパ演奏は団の活動にとって非常に重要なもの」と語り、その伝統が受け継がれていくことを願う。
 陸前高田市消防団矢作分団ラッパ隊OBで、矢作町二又地区に住む村上清さん(86)は昭和27年、村青年団で結成されたブラスバンドに加入。同地区では戦中から、出兵する人たちを送り出す時に吹奏楽演奏を行っており、トランペットやユーフォニウム、クラリネット、トロンボーンといった楽器がそろっていたという。
 やがて青年団メンバーが消防団員となったことで、当時としては市内で唯一、矢作分団が分団内行事にラッパ演奏を取り入れていた。また、同団第1部(二又地区)と3部(生出地区)のメンバーに楽器経験者が多かったこともあってブラスバンド部も存在したといい、矢作は市内でも音楽活動がひときわ盛んな分団だった。
 昭和後期ごろには、まだ消防演習が分団ごとに実施されており、矢作のラッパ隊やブラスバンド部は他分団からも毎年、行進やアトラクション用の演奏を依頼されていた。村上さんは「演習の時期になると、毎週末どこかしらに呼ばれていたものだった」と語る。
 同50年代前後には市内のみならず、近隣市町の分団から「うちでもラッパ隊をつくりたい」と相談され、当時のラッパ隊長だった村上さんや、隊員で生出地区の菅野賀一さん(71)らが指導へ行くように。菅野さんは「大船渡へ教えに行ったときは30日間通った。最後の仕上げとして盛町の商店街を3列縦隊で行進したのを記憶している」と振り返る。
 昔から尺八や横笛、ハーモニカなど「音の鳴るものならなんでも好きだった」という村上さんは「消防を引退してもう何十年にもなるが、(高田町の)ひかみの園に慰問演奏に行ったことや、いろんな場所で演奏したことをよく覚えている」と懐かしむ。今もたまに、ブラスバンド部の演奏を録音したカセットテープを聞いているという。 
 菅野さんは「ラッパやブラバンの演奏があって当たり前、という地域で消防団員になったから、よそに行って演奏がないとなんだか物足りない気分になった。やはり行進のときなどにラッパがあるのとないのとでは、団員の士気も違う」とし、伝統の灯をともし続けていってほしいと願っていた。