画家・松田さん(気仙町出身)を特集  没後20年、県立美術館がコレクション展で 7月18日まで

▲ コレクション展のポスターを持つ修二さん

 盛岡市の県立美術館は、現在開催中の第1期コレクション展で、今年で没後20年を迎える陸前高田市気仙町出身の画家・松田松雄さんを特集している。松田さんは、福島県を拠点に20年余り創作活動を続けた。会場には作品19点が展示され、常に自分や人、心という存在と向き合いながら、新たな表現を追い求めた画家の〝人間ドラマ〟を来場者に伝えている。7月18日(日)まで。

 

福島拠点に活動

 

 松田さんは、昭和42年に30歳で画家デビューを果たし、病で倒れる平成5年まで絵を描き続けた。コレクション展では、昭和43年に制作された「風景『人』」をはじめ、晩期に描かれた「風景デッサン」シリーズまでの作品を公開している。
 初期の作品に多いのは、マント姿の人が風景の中に点在する絵。同館によると、マント姿の人は人間一般の象徴とみられ、「必要最低限の要素で構成した単純明快な空間で、複雑な人間ドラマを描く」という試みを続けていたという。
 昭和50年ごろからは、色を白と黒に限定し、人物を大きく、立体的に描くように作風が変化。全身マントで覆われていた人も手足が見えるようになり、写実的な絵へと方向転換していく。
 さらに60年からは、画面から人の形が消え、心の動きを抽象的に表す「風景デッサン」シリーズの制作が始まる。同シリーズは100点以上制作され、後半は黒と白の線で画面を埋め尽くす手法が用いられた。
 常に変化していった松田さんの作品で、一貫していたのはテーマが「人」であること。
 同町に住む松田さんのおい・修二さん(63)は「叔父は人に好かれ、人のことをよく見ていた。ひょうひょうとしていて、内面では〝真実とは何か〟というものを自分に問いかけているような、そんなイメージがある」と生前を振り返る。
 松田さんは昭和12年に生まれ、8歳のころに母親を亡くした。戦後の時代を生き、気仙沼高校卒業後は地元漁業会社に就職。26歳のときに転勤で福島県いわき市に移り住み、その後、会社を辞めて画家の道を歩み始めた。
 独学で絵の勉強を続け、同44年には全国公募の「芸術生活画廊第3回公募コンクール」で入選を果たす。東京での個展や美術雑誌での作品紹介が実現し、岩手でも名が知られるようになった。
 そこから国内・国際公募展での受賞を重ね活躍。いわき市では美術館設立に携わり、地域の美術振興においても足跡を残した。
 修二さんは「オイルショックなどのため実現はしなかったが、アメリカのケネディ空港の壁画制作を依頼されたこともあったようだ。私は絵に詳しいわけではないが、叔父の絵がすごいものであるということは感じている。気仙出身で、独学で画家に上り詰めた人がいたということをもっと多くの人に知ってもらいたい」と話す。
 常設展示室には、画家で気仙にもゆかりのある一関市出身の故・白石隆一さんや、広田町の故・畠山孝一さんの作品も展示されている。
 開館時間は午前9時30分~午後6時(入館は午後5時30分まで)。月曜休館。一般410円、学生310円、高校生以下無料。