共生社会の実現願う 元パラリンピアンの千葉忠行さん(上有住) 24日に東京2020パラリンピック開幕

▲ 元パラリンピアンの千葉さん

 東京2020パラリンピック競技大会は、24日(火)の開会式翌日から9月5日(日)の閉幕まで、12日間にわたって22競技539種目が繰り広げられる。1984年に米ニューヨーク州で開かれたパラリンピックに出場した住田町上有住の千葉忠行さん(68)は、今月14日に同町役場で開かれた東京2020パラリンピック聖火フェスティバル「すみたの火」採火式に参加し、採火役を務めた。「選手のパフォーマンスから多くの人々が勇気をもらえるような大会になってほしい」と語る千葉さんは、元パラリンピアンとして健常者と障害者が共生する社会の実現を願う。


 同町での採火式では、神田謙一町長、千葉さん、五葉山火縄銃鉄砲隊伝承会が採火を行った。
 同伝承会のメンバーが火縄銃を撃つ際に使用する火を神田町長と千葉さんの持つトーチに移し、2人がランタンに聖火をともした。千葉さんは「各市町村から集まった火が大きな炎となり、大会を盛り上げてくれれば」と聖火に願いを託した。
 集火・出立式は16日に盛岡市のイオンモール盛岡で開催され、県内各市町村から集まった火は一つにまとめられ、東京へと旅立った。聖火リレーは17日から静岡、千葉、埼玉、東京の4都県で行われる。
 千葉さんは住田高校卒業後、神奈川県の自動車部品メーカーに就職。入社して7カ月目にプレス機械で誤って左手首を切断し、3級の障害者となった。
 その後、会社を辞め、昭和52年に帰郷・就職。「当時はまだ、障害者への偏見があった。その偏見をなくしたかった」との気持ちで障害の克服に努めた。
 高校時代は吹奏楽部に入り、スポーツとはあまり縁がなかったが、子どものころから実家近くを流れる気仙川で遊んでいたこともあって水泳は得意だった。54年の県身障者体育大会に、町代表として出場。片手切断の部の水泳自由型50㍍で37秒の好タイムを記録し、見事優勝した。
 これが認められ、県の推薦を受けて財団法人日本身がい者スポーツ協会がパラリンピック派遣選手に選出。気仙からは初、県内からはただ1人選ばれ、大会では得意の水泳のほか円盤投げ、やり投げ、ローンボウルのシングルスとダブルスの5種目に出場した。
 得意の背泳は、大会前の2カ月間、遠野市の室内プールに通い特訓。経験のなかったやり投げなどは、母校・住田高校に通って陸上部の先生から教わった。
 大会には53カ国が参加。千葉さんは、ローンボウルシングルとペアで4位、100㍍背泳ぎ6位(1分44秒64)、やり投げ8位(30㍍80)、円盤投げ15位(22㍍50)と好成績を収めた。
 「自分は片手だが、両手両足がない人や、片足でも高跳びで180㌢跳ぶ人などを見てきた。『負けていられない』という気持ちになった」と大会を振り返る。
 「今でこそ、健常者のプロアスリートと遜色ないが、当時のパラリンピックは交流という面も大きかった。1000人ぐらいが入るテントで、ロックの曲に合わせて住田音頭を披露したことを今でも覚えている。いろんな国の選手が、自分の後ろに続いて踊ってくれていた」と当時を懐かしむ。
 東京パラリンピックは、新型コロナウイルス感染防止のため、首都圏会場は無観客の方向。「本来であれば選手たちの、体だけでなく心の限界を超えた姿を目に焼き付けてほしかった」と悔しさをのぞかせたが、「障害を障害と思わずに活躍するアスリートを見ればきっと感動するはず。結果だけでなく、その背景には想像を絶する努力があるということも知ってほしい」と話す。
 「健常者も障害者も分け隔てなく参加できる大会もあれば、互いのアスリートの心が一つになるのではないか」──。大会成功と、その先の共生社会実現を強く願う。