中心市街地の新たな〝顔〟に 木造千石船の復元船「気仙丸」の移設完了 今後は有効活用、管理体制カギに(別写真あり)

▲ おおふなぽーと付近の交差点に設置された「気仙丸」

 大船渡商工会議所(米谷春夫会頭)が所有する木造千石船の復元船「気仙丸」は21日、大船渡市大船渡町・おおふなぽーと付近の市有地に移設された。気仙大工の技術や歴史継承を見据え、昨年8月から1年以上をかけて進められてきた陸上展示のプロジェクトは、大きな節目を迎えた。今後は中心市街地の新たな〝顔〟として、活性化や技術・文化の発信を担う中、官民一体となった有効活用やまちづくりとの連動、維持管理のあり方が注目される。

 20日の作業では、赤崎町の㈲大船渡ドック(中野利弘代表取締役)から気仙丸を台船に乗せ、茶屋前岸壁に移動させた。21日は大型クレーンを用いて、夢海(ゆめみ)公園にも近い県道と市道の交差点付近に据え付けた。
 中野代表取締役は「なんとか移設場所に納めることができた。2日間の作業は、スムーズに進んだのではないか」と語った。設置後も一部で、長寿命化に向けたコーティング作業などを計画。歴史や由来を伝える説明板設置などを経て、10月4日(月)に現地で記念式典を開催できるよう調整を進めている。
 気仙丸は、江戸時代に気仙と江戸、九州地方の交易に活躍したとされる千石船の歴史を伝える復元船。長さは18㍍、幅5・75㍍、高さ5㍍。帆柱の高さは17㍍。
 気仙船匠会のメンバーらの手で建造が進められ、平成3年に完成。翌4年には「三陸・海の博覧会」に協賛出品し、高い評価を受けたほか、NHK大河ドラマ『龍馬伝』をはじめドラマや映画の撮影にも使われ、多方面で活躍を続けた。
 長年、赤崎町の蛸ノ浦漁港で係留され、10年前の東日本大震災時は流失、大規模損壊を免れた。一方、近年は老朽化などで腐食の進行が著しく、抜本的な修理の必要性に迫られていた。
 市や同商議所が検討を重ね、海上活用は断念。財源は市が確保し、昨年の市議会6月定例会で、事業費7000万円を盛り込んだ補正予算案可決を受け、陸上展示に向けた事業に入った。
 同8月、蛸ノ浦漁港から大船渡ドックにえい航。安定させるおもりとして積んでいた「バラスト」の取り出し後、水洗いを行い、船体全体の塗装をはがす作業を重ねた。
 その後、船体には長寿命化策として液体ガラス塗装が施された。気仙船匠会のメンバーも大船渡ドックに通い、傷みが進んだ部分を新調するなど、熟練の技を発揮。県外で塗装を行っていた板材や銅板の取り付けも行われた。
 今回の移設で、陸上展示に向けたプロジェクトは大きな節目を迎えた。通りかかった住民からは「夜はライトアップを行ってみては」など、早くも活性化につながるアイデアが出ていた。
 船体は長寿命化が施された一方、維持管理の観点から「屋根をかけるべきでは」といった声も。白い帆を揚げて航海していたかつての姿を、どう伝えるかも話題になっていた。
 現段階では、船の内部を日常的に見学できる形にはしない方針。建造技術を後世に残す体制整備に加え、訪れた人々がじっくりと木造船の魅力やこだわり、技術の精巧さを学ぶことができる展示・見学のあり方も今後のカギとなる。
 据え付け作業終了後、気仙船匠会副会長の菅野孝男さん(78)=陸前高田市気仙町=は「建造から30年が経過した船。木造船の寿命は15年とされ、人間でいえば100歳を超えている。ここまで来ることができて、ほっとしている」と語り、笑みをこぼした。
 気仙丸は建造後、約20年にわたり各種イベントやテレビ・映画のロケなどで活性化に寄与し、震災以降は大津波に耐えた〝奇跡の船〟として注目された。今後に向け、菅野さんは「江戸時代から船だけでなく神社仏閣も手がけ、負けずぎらいで努力を重ねたのが気仙大工。市民の皆さんには、この船のぬくもりに触れてもらいながら、新たな歴史をつくってほしい」と期待を込めた。