2021衆院選岩手2区/潮目経て自民に勢い 与野党対決 気仙も大差に

▲ 広大な2区での戦いを支えた関係者に感謝を示す鈴木氏(中央)=10月31日、滝沢市内

 10月31日に行われた第49回衆議院議員総選挙。気仙を含む岩手2区は自民党の鈴木俊一氏(68)と立憲民主党の大林正英氏(57)、「NHKと裁判してる党弁護士法72条違反で」の荒川順子氏(68)が立候補し、実質的には鈴木、大林両氏の一騎打ちとなった。小選挙区の区割りが変わった平成29年の前回選から気仙も地盤となった鈴木氏。実績や知名度の高さを背景に、この4年間で支持基盤を厚くして大差で通算10選を決めた。一方の大林氏は野党統一候補として臨んだが浸透しきれなかった。明暗が分かれた両陣営の気仙での動きを振り返る。(衆院選取材班)


知名度と実績で基盤に厚み 鈴木氏陣営

 

 今回の衆院選で鈴木氏は、14万9168票を獲得。大林氏に8万2479票の差をつけて通算10選を果たした。首相を務めた父・善幸氏(故人)の存在と自身9期の実績、さらに内閣主要ポストの財務相への就任も背景に、選挙区を構成する23市町村すべてで得票数トップとなり、得票率は7割近くに至る圧勝だった。
 気仙では、大船渡市で1万2921票、陸前高田市で6859票、住田町で1986票の合わせて2万1766票を獲得。投票率など状況の違いはあるが、区割り改定後、初の選挙で「新顔」として臨み野党候補との一騎打ちを制した前回から、約3600票を積み増した。
 区割り改定以前は自民が敗れ続けてきた気仙。前回、知名度が高く、旧2区で善幸氏以来の強固な基盤を持つ鈴木氏が「地元候補」となったこと、そして陸前高田出身で党派を超えた支持を集めて連続6選を果たしてきた黄川田徹氏(68)の勇退が潮目となり、状況は変わった。
 前回選後、一昨年に立ち上げた気仙地区後援会(鎌田和昭会長)や党の市町支部が運動の核となり、「前回以上の得票を」「大臣に恥をかかせられない」と、異例の短期決戦となった中でフル回転した。
 鈴木氏は選挙戦を通じ、ソフト面も含めた復興完遂、復興事業で完成したインフラを活用する新しいふるさとづくり、農林水産業振興、国土強靱化、国際リニアコライダー誘致、新型コロナ第6波への備えなどの必要性に言及した。
 そのうえで「内閣の中枢から岩手の課題を応援したい」と訴え、主力魚種の不振に悩む水産、「復興の先」の見通しをつけたい建設、人流抑制で冷え込んだ飲食関連など、国との太いパイプの期待感を背に幅広い職域へと浸透。中選挙区時代から現・立憲民主県連代表の小沢一郎氏(79)を支えてきた層も引き寄せた。
 小選挙区の「鈴木票」と比例で獲得した自公の「与党票」の差は5900票あり、党派を超えた支持を物語る。特に、国政選挙においては「人物本位」の選択が行われてきた気仙。鈴木氏は今回、「おらほの大臣」としての基盤を確かに築いた。これを党のものとして固められるか否かが、今後行われる各種選挙における気仙の情勢を占う要素となっていきそうだ。


共闘態勢構築の遅れも響く 大林氏陣営

 

 県内野党の統一候補として臨んだ大林氏は、出馬と知名度の遅れを挽回できず、政策の対決軸も浸透させることができなかった。旧民主党分裂以来の野党内の軋轢も影を落とし、気仙では野党支持層でも距離を置いたり、鈴木氏支持に回る動きが加速した。
 原発処理水の海洋放出の政府方針を撤回させると訴えを強めたが、「時間が足りなかった」と悔やんだ。
 気仙では知名度不足が響き、野党系の現職議員や元議員が静観するむきがあり、後援組織を持てず、企業・団体推薦も低調だった。
 一昨年10月、当時の立民県連は幹事長だった現副代表・中村起子氏(56)の2区総支部長起用を発表。しかし、昨年10月に現在の小沢県連代表ら国民民主党県連と合流して以降は白紙となった。前回は野党候補の畑浩治氏(58)を全面支援し、気仙で影響力を持ってきた黄川田氏も小沢氏と溝を深め、2区では沈黙を保った。
 8月の出馬表明直後から県連副代表の木戸口英司、横沢高徳両参院議員らの応援を受けて選挙区を回り、4市で後援会を立ち上げるなど急ピッチで浸透を図ったが、結果は気仙を含む全23市町村で先行を許した。
 立民内部では1区でも軋轢が再燃し、公認候補者を巡る争いが勃発。2区を含む県内全体の野党共闘の態勢構築の遅れにつながった。陸前高田市と住田町では小沢氏に近い議員や共闘する共産の議員が支援したが、連合岩手と政策協定を結ぶのも直前となり、連合気仙幹部は「準備が遅れた。大船渡市では手足となって動いてくれる人もいなかった」と厳しさを明かした。
 大林氏は「都市と地方の格差を是正する」と気をはいたが、岸田内閣が選挙直前に発足し、医療や教育のオンライン化で都市と地方の格差を是正する「デジタル田園都市国家構想」などを掲げ、さらに鈴木氏が財務相に就くと、期待感は相手に流れた。豊巻浩也後援会連合会長は「争点がぼかされた」と嘆いた。
 大林氏も「戦略をきっちり立てられなかった。訴えが届くような実効性ある動き方を精査しなければならなかった」と振り返った。