念願の舞台で恩返し誓う サンベルクスの熊谷選手(高田高出身)ニューイヤー駅伝 エントリーメンバーに選出
令和3年12月30日付 6面

第66回全日本実業団対抗駅伝競走大会(ニューイヤー駅伝)は来年1月1日(土)、群馬県前橋市の群馬県庁を発着点とする7区間100㌔のコースで開催される。この中で、大会に出場する株式会社サンベルクス(本社・東京都)の陸上部に所属する熊谷光選手(27)=大船渡市三陸町越喜来出身=がチームエントリーメンバーの14人に選出され、本番へ向け調整を進めている。
1月1日号砲
熊谷選手は、大船渡市の越喜来小、中学校、陸前高田市の高田高校を経て、東京国際大学に進学。高校入学と同時に陸上競技を始め、長距離選手として活躍した。
高校1年の終わりに東日本大震災が発生し、津波の影響で同校校舎は全壊。その後2年間は大船渡市立根町の萱中校舎に通って競技力を磨き、3年時の県高総体3000㍍障害で準優勝、東北選手権の同種目で3位となるなどの活躍を見せた。
東京国際大に進学後は、徐々に走る距離を伸ばし、1〜3年で出場した岩手県陸上競技選手権では、同種目で3連覇を達成するなど、着実に力をつけてきた。3年時には、箱根駅伝の予選会にも出場し、同大陸上部が創部して初めてとなる本大会出場権獲得に大きく貢献。本大会では復路の6区で力走を見せ、「夢の舞台で楽しく走ることができた」と振り返る。
大学卒業後は、東京の実業団に所属し、得意とする3000㍍障害を中心に、個人種目を磨いた。平成29、30年に出場した全日本実業団対抗陸上競技選手権大会では、同種目で2年連続の入賞を果たしたほか、令和元年には日本陸上競技選手権にも出場し、日本のトップアスリートたちと力を競い合った。
その後も好調を維持し、昨年11、12月に開かれた日本体育大学長距離競技会で5000㍍、1万㍍の自己ベストを更新。しかし、この大会後、長距離走の反動からか、右足に二つの大きなけがが発覚。陸上を継続するか悩み、競技引退も考えていたところ、サンベルクスから勧誘を受けた。
「一度は引退も考えたが、声をかけていただいた。自分自身も、実業団でニューイヤー駅伝に出場するのが目標だった」と熊谷選手。陸上を続ける意志を固め、今年4月にチームを移籍した。
右足の状態は良くなかったものの、チームのコーチらと懸命なリハビリに励み、今夏には、チームの練習に合流できるまでに回復。けがの状態も気にかけながら徐々に練習のギアを上げ、11月の「第62回東日本実業団対抗駅伝」で5区を走り、チームとして2年連続のニューイヤー駅伝出場権をつかんだ。「自分としては不完全燃焼の走りだったが、出場権を得られてほっとした」と心境を語る。
現在は、本番に向けて調整を進める。「箱根駅伝の次に目標としていたニューイヤー駅伝で走るチャンスが巡ってきた。いつでも走る準備はできている。家族や応援してくれる方々に、自分が走っている姿を見てもらうことが一番の恩返し」と意気込む。
また、昔からともに陸上を頑張ってきた弟・真澄さん(23)の存在も、熊谷選手の心の支えだ。
高田高から東京国際大と、兄と同じ道を進んで陸上を続けている真澄さんは、今年1月の第97回箱根駅伝で復路の8区に出場し、懸命な走りでたすきをつないだ。熊谷選手と同様にけがで苦しんだ時期もあったが、だからこそ、つらい時にはお互いに支え合い、鼓舞し合ってきた。「(真澄さんは)兄弟であり、良きライバル。弟の存在が競技のモチベーションにもなっている」と話す。
今春から、真澄さんも実業団チームに所属し、陸上に打ち込む。熊谷選手は「高校、大学と学年が重ならなかったので、実業団に入ってやっと同じ土俵になった。兄として、まだまだ負けられない。そういった意味でも、今大会でいい走りを見せたい」と誓う。
今大会の各区間の走者は、30日に公式ホームページなどで公開予定。当日は午前9時15分号砲。