東日本大震災10年/命救った恩師に「ありがとう」 当時の校長、担任と再会 震災時気仙小1年の高校生ら(別写真あり)

▲ 元校長の菅野さん(前列右から3人目)、担任だった吉田さん(同4人目)との再会を喜ぶ旧気仙小の同級生ら

 陸前高田市気仙町の旧気仙小学校1年の時に東日本大震災を経験し、この春、気仙内外の高校を卒業する同町出身者10人が25日、当時の小学校長や担任教諭と再会した。震災後に旧長部小と統合した現在の気仙小校舎に集まり、恩師とありし日の思い出を語らったほか、進学や就職への決意も表明。人生の節目に生徒らは「大津波があったあの日、先生が高台に逃げろと言ってくれたから、今私たちはここにいます」と11年越しの感謝を伝えた。

 

進学、就職前に〝母校〟に集まる

 

 旧気仙小に通っていた佐々木咲良さん(高田高3年)が連絡のつく同級生たちに声をかけ、震災当時校長だった菅野祥一郎さん(71)=横田町=と、1年生の担任だった現気仙小教諭の吉田輝美さん(51)との再会の場を設けた。
 近況報告を行った生徒らは、通っている高校での楽しかった思い出や、それぞれの夢、卒業後に大学や専門学校などで頑張りたいこと、就職をして社会人の第一歩を踏むことなどを恩師に伝えた。
 また、旧気仙小時代、登下校時に校長室の前であいさつをしたこと、宿題を提出しないでしかられたこと、学習発表会で劇を頑張ったこと、先生に誕生日プレゼントを渡したこと──などを振り返り、笑顔を広げた。
 佐々木さんは、10人で用意した寄せ書きを菅野さんと吉田さんそれぞれに贈呈。「震災当時は1年生で何も分からなかった。避難するときに、先生が『もっと高いところに逃げて』と言ってくれたおかげで、今みんなこうやって生きています。感謝してもしきれません」という教え子からのメッセージを、恩師2人が感極まった表情で受け取った。
 吉田さんは「時が流れるのは早いが、みんな当時の面影が残っている。大変な時を乗り越え、明るくいてくれてうれしい。これからも同級生同士、つながりを大事にして」と語った。
 菅野さんは「あの日、高台に逃げてよかった。だからこうしてみんなと会えるんだよな、と思う。今回皆さんに呼んでもらい、立派になった姿を見られてうれしかった。これからもまちで姿を見かけたら声をかけてほしい」と話していた。
 平成23年3月11日、海から約1㌔、気仙川まで300㍍ほどの場所にあった旧気仙小では、巨大地震発生直後に児童約90人と教員らが校庭に避難。その後、出先から学校へ戻った菅野さんの指示で急いで裏山に登った。3階建ての校舎は大津波にのまれ全壊したが、奇跡的に犠牲者はいなかった。
 当時の1年生は12人。間借りした旧長部小校舎で学校生活を送った児童や他校へ転校した児童らが、それぞれの道を歩み、春に新たな門出を迎える。
 佐々木さんは「人生の境目にあたるこの時期に、みんなや先生たちに会って、ありがとうを伝えたいと思った。どうしても連絡先が分からなかった2人ともいつか会いたい。成人した時や幼児体育指導員になるという夢をかなえた時、地元に帰ってまた同級生や先生たちと再会したい」と語り、明るい表情を見せていた。