東日本大震災11年/未来へ歌い継ぐ伝承のメロディー~〝あの日〟を生きた人々の思いをつなぐ合唱曲~(11㌻に続く)

▲ 昨年12月、震災関連の校内行事で『空〜』を歌った生徒ら

 東日本大震災発生から11年。震災を経験していない世代が増えていく中、気仙には、震災の記憶を歌で伝え続けている学校がある。震災後に生まれた合唱曲を先輩から受け継ぎ、後輩たちがさらに新入生へと思いのバトンを託す。悲しみや、支援への感謝、勇気と希望をくれた出会い──言葉だけでは言い尽くせない、〝あの日〟を生きた人々の大切な思いがメロディーとなり、未来に響き渡る。

 

『空 〜ぼくらの第2章〜』 高田第一中
ともに歩き続ける このふるさとで

 

旧気仙中から高田第一中へ

 

 陸前高田市の高田第一中学校(熊谷広克校長、生徒212人)では、毎年の入学式や卒業式、震災関連行事などで、生徒たちが合唱曲『空〜ぼくらの第2章〜』を歌う。
 混声三部のこの曲は、盛岡市の深田じゅんこさんが作詞し、作曲家の大田桜子さん=東京都=が作曲。震災当時、音楽講師だった千葉賀子さん(75)=大船渡市大船渡町=が、大津波で気仙町の学びやを失った旧気仙中学校の生徒たちを思い、曲作りを依頼した。
 旧気仙中と旧第一中が平成30年に統合し、高田第一中となってからも、生徒らは「温かい心を届け、支えてくれた人たちがいたことを伝えたい」と歌い続ける。

 

生徒が過ごした証し残したい

 

 平成23年3月11日、旧気仙中体育館では卒業式の練習が行われていた。巨大地震は、全校合唱の練習を始めた直後に発生。約90人いた生徒らは、教員とともにすぐ高台に避難し無事だったが、気仙川河口部の低地にあった3階建ての校舎は屋上まで水没。生徒らも心に深い傷を負った。
 気仙中は、同年4月から矢作町の旧矢作中校舎を仮校舎に授業を再開。千葉さんは、常勤講師として音楽を教えた。
 ある日、とある生徒の日誌に書かれていた内容に目がとまった。「みんなで歌を歌うのって、楽しいよね」──この言葉がきっかけだった。千葉さんは「この学校で過ごしたという証しになるような、卒業式で歌える曲を生徒に贈りたい」と音楽関係の知人に相談し、つながった深田さんと大田さんに協力を仰いだ。


心に寄り添い歌詞と曲が誕生

 

 深田さんは、それまで面識のなかった千葉さんから作詞を頼まれて驚くと同時に、不安も感じたという。「よかれと思って使った言葉が、誰かを傷つけることもある」と、断る選択肢もあったが、千葉さんの熱意に心動かされ、覚悟を決めた。
 作詞にあたり、深田さんは23年5月下旬に陸前高田市を訪問。「眼前に海が広がり、その手前には黄土色の地面が広がっていました。どこかでカタカタとキャタピラの音がして、風が吹いていました」──一本松を見上げた、そのときの風景を目に焼き付けた。
 翌月も同市に足を運び、千葉さんの案内で市内を回った。震災の日に何があったかを聞き、生徒や教員の思いにも寄り添って「歩いた道が温かい思い出の光に照らされ、希望にあふれるように」と歌詞をつづった。
 一方、大田さんも「私の作品が少しでもお役に立てるのならば」と作曲を引き受けた。復興への強いメッセージが伝わる曲構成や、生徒たちにとって歌いやすい音域、リズムを意識し、秋までに曲を完成させた。
 大田さんは、24年3月の卒業式前に同校を訪れ、合唱練習で『空〜』を歌う生徒たちと交流した。「生徒の真剣なまなざしや、周りを気遣う優しい心、思いを込めて歌ってくれたあの演奏にふれ、涙がこみ上げた」と、感動が忘れられない。
 卒業式で初演されたその日から、『空〜』は同校で歌われ続ける〝第二の校歌〟となり、現在は高田第一中が歌い継いでいる。


平成24年の旧気仙中卒業式で使った楽譜を持つ千葉さん

背中を押してくれる歌になって

 

 高田第一中の菅野璃子さん(2年)は「これから生まれてくる子どもたちは、震災のことを知らない。だからこそ、『空〜』を大切に歌い、震災のことを伝えていく必要がある」と語る。
 また、「歌詞の『ぼくらは生きる ともに歩き続ける ここでこのふるさとで』の部分は、特に思いを込めている。私自身も、陸前高田の町とともに歩き続け生きていきたい」と誓う。
 7年前に教壇を離れた千葉さんは、『空〜』が今も生徒たちに大切に歌い継がれていることを知ると、うれしそうな表情を浮かべた。
 「『空〜』を歌う人は変わっていくけれど、曲に込められた作り手や歌い手の思いは消えない。これからも、誰かが一歩前へ踏み出せるような、背中を押してくれる曲であってほしい」と、10年前と同じ空を見上げる。

 

 

 

全校児童で初めて『明日の君へ〜』を歌った平成28年度のスマイル集会。最前列の1年生は本年度で卒業を迎える


『明日の君へ〜つなげようぼくらの思い〜 』小友小
復興と感謝伝える児童の言葉

 

年1回披露の特別な曲

 

 陸前高田市立小友小学校(今野忠頼校長、児童71人)では、震災支援への感謝や復興する被災地の姿を発信しようと、震災を経験した同校児童たちから募った言葉をもとに、平成27年度に制作された楽曲『明日の君へ〜つなげようぼくらの思い〜』が大切に歌い継がれている。
 児童が言葉を紡ぎ、当時、同校の副校長を務めていた西條剛志さん(60)=現・大船渡市立猪川小学校長=がそれをつなぎ合わせて歌詞化。震災直後から児童の心に寄り添ってきた陸前高田市のスクールカウンセラー・渡部友晴さん(44)=大船渡市赤崎町=がメロディーをつけて完成したこの曲は、同校で1年間の復興・防災教育のまとめとして3月に開かれる「スマイル集会」(3・11メモリアル集会)でのみ歌われる特別な曲。未曽有の大災害から立ち上がり、前を向いて未来へと歩みを進める児童たちの力強さと、苦しい時に支えてくれた世界中の人々への感謝を末永く伝え続ける。


〝語り継ぎ〟の意味も込め制作

 

 津波で校舎1階部分が浸水した同校。被害を受けた校舎や校庭、プールの改修工事が進められ、26年度までに復旧した。
 震災の教訓を踏まえ「地域とつながる」をテーマに、保護者や地域住民など、地域全体での防災学習を展開。この歌も防災教育の一環として制作された。
 「震災以前の環境が戻りつつあった中、多くの復興支援に対して、感謝の気持ちや被災地の現状を伝えるために何かできないかという思いを抱き続けていた」という西條さんは、当時から同校を訪れていた渡部さんなどと方法を探り、「歌なら子どもたちにも伝わりやすく、語り継ぎの役割も果たせるのでは」と制作を決めた。全校児童に歌詞に使う言葉の募集を提案し、「渡部先生と歌を作ろう」とのテーマで制作に向けて動き出した。


心の中の思い歌詞で具現化

 

 低学年が「ありがとう」などと前向きな言葉を並べる一方、高学年からは「がれきは私たちの生活の全て」という、表には出さない震災に対する心の中の思いが寄せられた。
 児童たちが歌いやすいように渡部さんが歌詞の一部を手直しして完成させ、27年度のスマイル集会で渡部さんの伴奏に合わせて、西條さんら教職員で全校児童に初披露した。
 同年度で西條さんは同校を離れたが、28年度の集会に出席し、児童が歌う初めての合唱を鑑賞。「世界中へ 伝えたい ありがとう ありがとう」と声をそろえる児童たちの姿を「合唱を初めて聴いたとき、これまで取り組んできた防災教育がつながっていることを実感でき、うれしかった」と振り返る。

 

集会での合唱では必ず渡部さん(左端)が伴奏を務める(平成30年度)

歌う意味理解し次世代へ継承を

 

 同校でこの曲が歌われるようになってから6年がたつ。新型コロナウイルスの影響で、本年度の集会は中止となり、この曲を歌う機会はなかったが、それでも児童たちは歌詞の意味をしっかりと理解し、胸に刻みながら大切に継承している。
 全校児童で初めてこの曲を歌った平成28年度に1年生だった児童は、もうすぐ卒業を迎える。同校の大和田幸弘君(6年)は「この曲を歌うと、震災の時にたくさんの方が支援してくださったことを思い出し、感謝の気持ちを込めて歌っている」と思いを語る。
 「(曲の完成は)渡部さんの力が大きかった」と感謝する西條さん。「3月11日が近づいたから歌う曲ではなく、何のために作られ、誰に向けて歌うのか、言葉を紡いだ当時の児童たちの思いなどを知って長く歌ってほしい。ただ、これからを生きる若い世代には、『震災を後世に語り継ぐ』とか、教訓の継承にとらわれるのではなく、自分が学校などで学んだ防災について、次の世代に伝えていってくれれば」と願う。