新たなまち構成する要素に 気仙町出身の村上緑さん 今泉に「集いの場」建設へ

▲ 集いの場の建設予定地に立つ村上緑さん

 東日本大震災で被災した若者が成長して技能を身につけ、古里のまちづくりに貢献しようとしている。大津波で世帯の9割以上が被災する被害を受けた陸前高田市気仙町今泉出身の村上緑さん(21)は、「新たに造られていく今泉のまちを構成する要素の一つになれば」として、復興途上にある同地区のかさ上げ地に「集いの場」を自らの手で造ると決めた。何百年もの歳月をかけて、高田松原や今泉の歴史を築いてきた先人たちの〝DNA〟を受け継ぐ村上さんは、愛する古里がにぎわいを取り戻す未来を夢見ている。(鈴木英里)

 

 11歳の時に被災した村上さんは現在、ものつくり大学(埼玉県)技能工芸学部建築学科の4年生。藩政時代の風情が色濃く残る今泉に生まれ、大工である父方の曽祖父や祖父ら、ものづくりに携わる人々の姿と、歴史ある建物、「けんか七夕」などの伝統を身近に感じながら育った。
 「おかみ」──気仙の伝統的な住居には、そう呼ばれる客間がある。冠婚葬祭や寄り合い、宴会場などとして使われ、人が集う多目的なスペースで、かつての村上家にもあった。村上さんは大学の卒業制作として今、今泉に換地された実家の土地に、〝地域のおかみ〟と言える施設を建設しようとしている。
 建築面積は80平方㍍弱。同大で実習として制作した木造平屋4棟分と、あずまやの資材を大学から譲り受け、土間、板張りの広間、和室に加え、風呂や台所なども備えた形に設計し直した。村上さんのほかに3人の学生がこのプロジェクトに携わり、同市の伊東組も協力する。21日には地鎮祭も行った。
 村上さんが同大に進んだのは、被災後に移転した高田町で、新しい道路や住宅が形成され、人々が戻り、地域が活気を取り戻す過程をつぶさに見てきた影響が大きい。「建設ってすごい」。そう感動するとともに、復興は「人」の力で成り立っていると実感し、直接手を動かすことでまちづくりに役立てればと考えるようになった。
 一方、「早く何かできるようになりたい」という思いの強さに対し、まだ技術も知識も、経済力も伴わないというジレンマがずっとあった。震災10年を迎えた昨年、村上さんのその焦りはピークに達していた。
 だが、同じく故郷を愛する父・徳彦さん(54)に悩みを吐露した際、「震災前の今泉だって、最初からあの形だったわけじゃない。ちょっとずつやっていけばいいんだよ」と言われたことで、一気に雲が晴れたという。
 「それさえやればたちまち地域が活気づくような、即効性のあるものばかり追い求めてしまっていた」と気づいた村上さん。高田松原の再生植樹や、今泉地区明日へのまちづくり協議会など、数十年、数百年スパンで未来を見据えた地元住民の活動にも刺激を受け、大切にしたいものを見つめ直すことができた。
 人とのつながり、温かさ、伝統を大切にする地域性。村上さんをはぐくみ、古里を愛する原動力となっているのは、今泉のコミュニティー力だ。集う場を造る過程でも気軽に見学してもらい、地域のコミュニケーションが活気づけばと願う。
 コロナ禍で閉じこもりがちだった祖父も孫の活動を喜び、一緒に腕を振るうと約束してくれた。震災で地域を離れざるを得なかった人たちがまた今泉に集まり、新しい住民や若い世代と交流するきっかけも生みたいと村上さんは考える。
 商業施設・カモシーと、復旧工事中の旧吉田家住宅主屋の間に、〝おかみ〟を建てるための土地がある。「一つずつ、少しずつ」。今泉の新しい魅力が生まれ始めている中で、その一角を担えることに胸を熱くする村上さんは、「昔のまちを知らない子どもたちにとっては、今の今泉が〝古里〟。私がこのまちを大好きになったのと同じように、次世代の子たちにも誇れるまちを造っていきたい」と目を輝かせる。
 集いの場は秋ごろの完成予定。

土間や広間など、伝統的住居にならった施設となる