ひたむきな尽力たたえ 春の叙勲 気仙では6氏が輝く
令和4年4月29日付 1面
政府は、令和4年春の叙勲を発表した。受章者は全国で4036人、県内で76人。気仙からは、元陸前高田市議会議員の熊谷賢一さん(70)=同市米崎町=が旭日小綬章を、元県鍼灸師会会長の井上正敏さん(74)=大船渡市三陸町越喜来=と、元県防犯協会連合会副会長の近藤均さん(85)=同市末崎町=が旭日双光章を受章。元住田町消防団長の紺野博さん(73)=同町上有住=と水野覺さん(75)=同=が瑞宝双光章を、橋本工務店代表の橋本健次さん(84)=大船渡市三陸町綾里=が瑞宝単光章を受ける。
旭日小綬章
熊谷 賢一さん
地方自治功労
1次産業の振興に情熱傾け議員活動
昭和58年4月から平成23年9月まで、陸前高田市議を連続7期務めた。30年近く歩んだ議員生活の功労をたたえられ、「自分一人の力でいただいたものではなく、家族や親戚、地域、住民のおかげ。あらゆる人に感謝の気持ちでいっぱい」と恐縮しきりだ。
米崎町出身。大船渡農業高を卒業後、農業に従事する傍ら、青年会活動に携わったのがきっかけで、「さらに活気のある地域にするため市政に参画したい」という思いが募り、31歳の若さで市議選に挑み、初当選した。
「1次産業なくして陸前高田の発展はなし」が信条で、農業、漁業の振興策を巡り、市当局と論戦を交わしてきた。市民から住環境整備などに関する要望が寄せられれば、その都度現場の確認を徹底し、地域の声をまちづくりに反映させるよう奔走してきた。
長年、市シルバー人材センターの理事を務め、議員を退いてからも「地域に貢献したい」という思いは変わらない。現役議員には「市政発展のために尽力してほしい」とエールを送る。
旭日双光章
井上 正敏さん
保健衛生功労
鍼灸師として健康増進支える
高校時代、鍼灸師だった祖父・善正さんの姿を見て、跡を継ぎたいと同じ道を志した。専門学校卒業後の昭和45年から半世紀余りにわたり、患者の健康増進に尽力。「患者さんを治すだけではなく、話を聞くことも大事だと思って接してきた」と振り返る。
54年からは社団法人県鍼灸師会の理事を24年間、60年からは会長を18年間務めた。会長時代には、視覚障害がある人々の鍼灸団体との交流も積極的に図り、労災功労による大臣表彰も受賞。運動によるけがにも精通し、スポーツに励む若い世代も支えてきた。
平成23年の東日本大震災も乗り越え、現在は同じ道に進んだ三女・佳苗さん(39)と日々治療に当たる。「頼りにしてくれる患者さんがいることが、何よりの励み。家族の支えも大きい」と感謝し、「今後も患者さんのために頑張っていく」と決意を新たにした。
旭日双光章
近藤 均さん
防犯功労
〝自然体〟で治安維持に貢献
地元の小学校で教べんを執り、崎浜小校長を最後に教員を定年退職した平成9年以降、県や市の防犯協会連合会副会長などを歴任。警察や行政などの関係機関と協力しながら、地域の治安維持に努めてきた約30年間の活動を「よくここまで長く続けてきたものだ」と笑って振り返る。
在職中から末崎町防犯協会に入会し、本格的に防犯活動に取り組み始めたのは退職後。17年に市防犯協会連合会副会長となってからは、退任した令和3年まで、毎週欠かさず市内全域のパトロールを続けたほか、気仙地区防犯協会連合会の副会長として、防犯関係者の中心となって特殊詐欺対策や少年非行防止に尽力する。85歳になった現在も、毎朝7時に自宅前の道路に出て、登校する地元の子どもたちの様子を優しく見守っている。
「自然体でやるべきこと、与えられた役割を長く続けてきただけ」と控えめに語る近藤さん。「このような素晴らしい表彰を受けられるとは夢にも思わなかった」と受章を喜びながら、「今の活動を継続させるとともに、身近に潜む犯罪や危険など、日常での〝気づき〟があれば、地域、住民のために積極的に発信していきたい」と今後の活動にも意欲を見せている。
瑞宝双光章
紺野 博さん
消防功労
団員の教育、育成熱心に
「地域の防災は自分たちの手で」──。昭和47年に町消防団に入団。以来43年間、地域防災に尽力。防火意識の高揚・普及を図り、無火災のまちづくりに努めた。
副団長だった平成23年、東日本大震災が発生。遅い昼食を取っていたところで激しい揺れに見舞われ、町の対策本部に駆けつけた。
翌日から、行方不明者の捜索のため陸前高田市に入った。「実際に被害の状況を見てがくぜんとした。かつて働いていた気仙町の今泉も変わり果てた姿になっていた」と振り返る。竹駒町から横田町にかけて、朝から晩まで5日間にわたって捜索した。がれきに覆われたまちの中で無我夢中で捜索し、多くの遺体も発見し、安置所へと運んだことは今も脳裏に焼き付いている。
25年には団長に就任。いつ、何が起きても対応できるように心がけ、団員の教育、育成にも熱心にあたった。栄えある受章に「長年の活動が評価されてうれしい。周囲の支えがあったからこそ」と喜びを口にする。
瑞宝双光章
水野 覺さん
消防功労
消防人の気概強く
昭和48年、26歳で消防団に入団。「人が困っている時に活動するのが消防団の役割」と、〝消防人〟の強い気概を持って40年間団活動に励んだ。
団長就任1期目の平成23年に震災が発生し、町の対策本部で行方不明者捜索などの指揮を執った。同時に、民生委員として被災地に足を運んで安否確認などにも協力。自身も親戚を亡くしたが、懸命に活動に当たった。
「自分一人ではなく、幹部や団員が一体となって活動することが大事」との考えから、団長として常に「聞く耳」を持つよう意識。とにかく団員の声を聞くことを心がけてきた。
受章の知らせに「まだ実感はないが、名誉なこと。長年やってきたことが実を結んだので、続けてきてよかった」と笑顔を見せる。
周囲への感謝も大きい。「消防活動は一人の力ではできない。地域があって、団員がいて、最後まで助けてもらってそれが叙勲にもつながった。『半纏同士』の絆は強い」と長い消防人生を振り返る。
瑞宝単光章
橋本 健次さん
職業訓練功労
大工技能者育成に尽力
昭和55年から大船渡高等職業訓練校(現・気仙職業訓練協会)の訓練委員長を務め、建築大工工事業の会員拡大と建築技能認定職業訓練の実施により、技能後継者の育成に貢献した。
同協会理事、副会長兼校長などを経て、平成20年に会長、26年に顧問に就いた。相談役や訓練の準備などでも役割を果たす。「当たり前のことをやってきただけだが、せっかく推薦してもらったので」と謙遜する。
東日本大震災で盛町の同協会1階が損壊したが、施設の清掃・修復、整備に努め、訓練再開に尽力した。
綾里中学校を卒業後、旧三陸町役場の用務員として勤務し、昭和30年から大工見習いとして北海道に出稼ぎに行った。36年に独立し、地元に橋本工務店を設立。現在も代表を務める。
「大工になる人は減っている。一人前になるのは大変だが、今後も『金の卵』が育ってほしい」と訓練を通じた匠の技伝承を願う。