不屈の心 一本松とともに 「孤松巌上」碑 改めて設置 茨城県石材業連合会が制作 作曲家の故・船村徹さん揮毫

▲ 津波犠牲者を悼み、復興を願う祈念碑の建立を喜ぶ関係者

 茨城県石材業協同組合連合会(林清会長)が東日本大震災で被災した陸前高田市の復興を願って制作した碑が、高田松原津波復興祈念公園内の「奇跡の一本松」近くに建立された。震災翌年に建立プロジェクトが始動し、仮設置を経て常設にこぎ着けたもの。碑に刻まれた「孤松巌上」の言葉は、「一本松のように、何が起ころうと頑張っていこう」との思いを込め、日本歌謡界を代表する作曲家・船村徹さん(故人)が揮毫。船村さんの作曲で、同市出身の歌手・千昌夫さんが歌う『いっぽんの松』の詩を刻んだ歌碑も並び、不屈の精神と古里を思う心を伝える。(高橋 信)

 

千さん『いっぽんの松』歌碑も

 

 碑は奇跡の一本松北側に設置された。10、11の両日、同連合会の元会長・堀政美さん(80)ら関係者がクレーンを使って慎重に据え付けた。
 高さ3・9㍍、幅3・7㍍、重さ21㌧。国内でも最高級とされ、国会議事堂や最高裁判所などの建築物でも使われた「稲田みかげ石」を使用した。
 「孤松巌上」は、同連合会からの依頼を受けた船村さんが「ぽつりと一本残ったマツがしっかり根を張り、何が起ころうと頑張っていこう」という思いを込めて揮毫。倒れないよう、『いっぽんの松』の詩を刻んだ歌碑と、建立までの沿革石(ともに4・5㌧)を前後に配した。
 同連合会は震災後、茨城県内の被災地に石材のモニュメントを贈る活動を始め、県外の復興も応援しようと、特に大きな被害を受けた陸前高田市への支援を決めた。平成24年に動き出し、茨城県民の思いを乗せようと、同県での石材展示イベントで来場者に碑に刻む文字を削ってもらうなどの取り組みを進めた。
 多くの人の思いも込めて出来上がった碑は、28年6月に震災遺構・タピック45(旧道の駅高田松原)前に仮設置。同施設を含む祈念公園の整備進ちょくに伴い一時撤去・仮保管され、公園の全面供用を受け、今年4月から常設に向けた基礎工などが行われた。
 碑の設計などを担当した同連合会理事の川俣均さん(62)は「連合会関係者や茨城県民の思いがようやく形となり安どした。一本松とともにこの場所から陸前高田の復興を見守ってほしい」と願いを込めていた。
 祈念碑建立を決めた当時の連合会長だった堀さんは「どこに支援するべきか会議を重ね、陸前高田市への建立が決まったのが10年前。当時からの時間の流れを考えると感無量だ」と本設置を喜び、「きれいなまちができたが、復興は道半ばだと思う。より良い地域となることを心から祈っている」と話した。 19日(木)には現地で完成式が行われる予定。