津波の脅威と特性 忘れないで 三陸町越喜来の男性が11年前の撮影動画公開 引き波、海底、第2波捉える

▲ 11年前に撮影した東日本大震災津波の映像を公開した男性。その脅威を忘れないでほしいと願う

 大船渡市三陸町越喜来の40代男性は東日本大震災から11年がたった今年3月、震災発生当日に自身が越喜来地区で撮影した津波の動画を投稿サイト「You Tube(ユーチューブ)」で公開した。男性は家族の心境を踏まえ、動画の扱いをどうするか11年間葛藤してきたが、「風化させないために」と、このタイミングで公開を決断。2カ月で83万回を超える視聴があった。引き波や第2波など、津波の特性が分かる映像となっており、その脅威と教訓を全世界に伝えている。(八重畑龍一)

 

 「何もできません。地獄です」。動画は当日の午後3時20分ごろから11分間にわたり撮影。越喜来湾から同地区に襲来する津波の様子が途方に暮れる男性の震え声やため息とともに収められている。
 男性はあの日、市内で買い物をしていて地震に遭い、「絶対に津波が来る」と直感。小高い場所にある越喜来の自宅に戻り、家族を避難させると、「できることは何か」と考え、越喜来湾の方向にビデオカメラを構えた。
 カメラは防潮堤を乗り越えてくる津波の姿を捉え、家屋や2階建てのアパートを次々とのみ込む。「これが話には聞いていた引き波です」。男性は言い聞かせることで冷静さを保つように、静かに状況を説明している。
 一度波が引いた後は海底があらわになり、普段、海水に漬かっている消波ブロックが完全にむき出しになった姿も映っている。「間もなく第2波が来ると思います…。来ました」
 動画の存在を忘れることはなかったが、越喜来出身の妻が故郷の姿が失われていく映像を見るのを嫌がった。「消すわけにもいかず、見せたいわけでもない」。葛藤を繰り返してきたが、その最愛の妻が震災発生10年を前にした昨年2月、闘病の末、46歳で亡くなった。
 男性は津波の脅威を後世に伝える遺構が大船渡に少ないことも踏まえ、ちょうど発生11年となった今年3月11日午後2時46分に知人のアカウントで動画を公開してもらうよう依頼。「将来のまちのために遺すことは大事なこと。大好きな大船渡のために役に立ちたいと思った」と決断の理由を明かす。
 男性は震災直後、電気が通らない避難所を回る中で、山形県の知人らに頼んで贈られた太陽光発電のソーラーパネルを取りつけ、明かりを確保するなど、物資調達に奔走した。
 その後は各地から支援を受けた〝恩返し〟のつもりで、これまでの仕事の経験も生かし、広島県や九州地方などで頻発した豪雨災害の現場に個人ボランティアで駆けつけ、土砂撤去や捜索活動などに当たったこともある。
 動画の再生回数は今月13日時点で83万回を超えている。「忘れることなく今後の教訓とし、災害に対する心構えを見直したい」「恐ろしさを知らない人、忘れた人もいる。警報、注意報が出た時に避難する人が一人でも多く増えると良い」などと320件以上のコメントも国内外から寄せられた。
 男性は「日々記憶は薄れていくが、忘れないようにしたい。災害は全国で多発している。甘く見ないでほしい。人ごとではなく、命を守る防災を真剣に考えてほしい」と願う。
 動画は(https://youtu.be/sRyXAM8m9MA)から視聴できる。