製鉄の歴史など学ぶ  「栗木鉄山跡」を見学 世田米、有住両小児童 国史跡指定後初めて(別写真あり)

▲ 栗木鉄山跡を見学する児童ら

 住田町の有住、世田米両小学校の5年生が5月31日、昨年10月に国史跡に指定された世田米の「栗木鉄山跡」を見学した。指定後初めてとなる両校の見学では、かつて盛んに行われていた製鉄の名残、現地住民の生活の足跡をたどりながら、産業の歴史や先人の暮らしと森林との関わりについて学び、地域が誇る遺跡への理解を深めた。(清水辰彦)

 

 両校の栗木鉄山の見学は、文部科学省から研究開発学校の指定を受け、町内の各小中学校が特色あふれる授業を実践している独自教科「地域創造学」の一環。この日は両校の5年生合わせて22人が見学に訪れ、町文化財調査委員の千葉英夫さん(79)が現地を案内した。
 児童たちは千葉さんの説明を受けながら、さまざまな物質で形成されている鉄鉱石から鉄を取り出す作業が行われていた第一高炉跡や第二高炉、事務所跡、生活の名残がある水路跡などを見て回った。
 千葉さんは、製鉄の燃料源となる「木炭」には周辺の樹木も使用されていたことなど、地域の自然資源を生かしながら操業していたことも紹介。
 両校児童からは「なんでこの場所に製鉄所が作られたのですか」「栗木鉄山の名前の由来は」といった質問が上がり、見学を通して貴重な文化資源への興味を深めた様子だった。
 世田米小の菅野菜央さんは「金が発見されたこととか、事務所が思っていたよりも広かったことに驚いた」と話していた。
 栗木鉄山は、たたら製鉄が営まれた江戸時代から蓄積されてきた技術や自然資源を生かし、明治13年〜大正9年に操業された民営の製鉄所。世田米の国道397号栗木トンネルの種山側に位置し、付近には大股川が流れる。
 操業中、大正2年には国内4位(民間3位)の銑鉄生産量を誇った。石垣や水路、高炉の位置などを示す遺跡が見られる。最盛期には500人超の従業員がいたとされ、郵便局、学校、職員住宅なども整備されて「製鉄村」が形成されていた。
 第1次世界大戦中の好景気で絶頂期を迎えるが、大戦終結後の急激な需要減少によって大正9年に廃業となった。山間の地形を生かした高炉様式は全国的に見ても珍しく、日本の近代製鉄技術史上においても非常に貴重な遺跡とされている。
 設備のほとんどが解体され、現在は雑木林となっている一方、これまでの残存状況調査では第一高炉跡と第二高炉跡の保存状態が良好であることが判明。昭和58年に国道397号改良工事に伴って消滅の危機にひんしたが、町が路線変更を働きかけて遺跡は保存された経緯もあり、町による遺跡の公有地化も進められ、平成9年に町史跡、11年に県史跡に指定された。
 昨年6月には、文部科学大臣の諮問機関である文化審議会が栗木鉄山跡を国の史跡に指定するよう大臣に答申し、同10月に正式に指定された。