高田松原津波復興祈念公園 震災から11年で整備完了 国・県・市が合同で式典(別写真あり)

▲ 高田松原津波復興祈念公園の事業が完了し、関係機関が式典や講演を実施

 陸前高田市の高田松原津波復興祈念公園整備事業完了式は3日、高田町のコミュニティホールで開かれた。同公園(面積約130㌶)は東日本大震災津波で被災した高田松原地区において、国、県、市が連携して整備を進めてきたもので、今年3月末をもってすべての事業を終えた。これを記念して催された式典では、震災から11年での公園完成までの道のりを振り返り、震災犠牲者の追悼・鎮魂と〝あの日〟の事実や教訓を語り継ぐ場、地域のにぎわい創出の場として、次世代に向けたさらなる発展を願った。(三浦佳恵)

 

150人が出席 次世代に向けた発展願う

 

昨年12月下旬に供用を開始した浄化センター付近

 国、県、市が主催した式典には、事業関係者や市内各種団体の代表ら約150人が出席。式辞では、八重樫浩文県沿岸広域振興局長、戸羽太市長、澤田大介東北地方整備局東北国営公園事務所長が登壇した。
 八重樫局長は関係者らの尽力に感謝し、「より多くの方が公園を利用するよう、管理運営に努めていきたい」と施設の発展を祈念。戸羽市長は「震災で亡くなられた方々の思いを秘めた施設。陸前高田市が発展する一つの力として育てていきたい」と、澤田所長は「震災からの痕跡が薄れていく中で、施設が果たすべき役割を将来にわたって発揮できるよう管理運営を進めていく」と誓いを込めた。
 続いて、同公園有識者懇談会の座長を務めた東京工業大学教授の中井検裕氏と、座長代理である東京都市大学特別教授の涌井史郎氏が祝辞。多くの市民らの手によって震災を風化させず、世界や次の世代に発信する施設となるよう期待を寄せた。
 式後は、建築家で東京大学名誉教授の内藤廣氏が「高田松原津波復興祈念公園 国営追悼・祈念施設が出来るまで」と題して基調講演を展開。公園のコンセプトづくりや施設設計を手がけた立場から整備事業を振り返り、「高田松原津波復興祈念公園は、大きな自然、人間の営みを思い出すような場所になるべき。何百年たっても海への思いが残る場所になれば、自分たちの仕事も十分できたのではないかと思う」などと述べた。

 同公園は、震災の犠牲者を追悼・鎮魂し、その事実や教訓を継承するとともに、まちづくりと一体になった地域のにぎわい再生につなげようと、国、県、市が津波で被災した高田松原地区に整備。地元からの要望などを経て平成29年3月に着工した。
 令和元年9月、国営追悼・祈念施設の一部が供用を開始し、道の駅「高田松原」と東日本大震災津波伝承館がオープン。2年6月には、野球場やサッカー場などからなる運動公園の利用が始まった。
 3年4月には国営追悼・祈念施設のすべてと、震災遺構であるタピック45、旧気仙中学校、陸前高田ユースホステル周辺の園路広場などが完成。7月には、タピック45エリアと古川沼東エリアの駐車場が利用可能となった。
 11月には、川原川、震災遺構・下宿定住促進住宅の各エリア整備が終了。その後、公園管理事務所が完成し、市浄化センター付近などの周遊エリアの整備にめどが立ったことから、12月末に公園の全面供用を迎えた。
 今年3月末までに残る工事も終え、震災から11年を迎えたタイミングで事業が完了。国内外から多くの人々が足を運び、震災伝承や観光における県沿岸部の玄関口としての役割も担う中で、今後は地域住民らとの協働による施設活用も求められる。