心の古里にも元気与えたい 菅野ブルースさんがNBA選手目指して渡米 陸前高田で少年期過ごす バスケ強豪高で活躍
令和4年6月12日付 7面

U19代表も
小中学生時代を母の出身地・陸前高田市で過ごし、この春、男子バスケットボールの強豪校として知られる仙台大学付
属明成高校(仙台市)を卒業した菅野ブルースさん(19)が、米アイオワ州の短大への進学を決め、13日に渡米する。米プロバスケ(NBA)の八村塁選手もかつて在籍した名門でチームをけん引し、男子U19日本代表にも選ばれたホープが、「陸前高田にも元気を与えられるよう頑張る」と心の古里に思いを寄せつつ、NBA選手を目指してバスケの本場で新たな挑戦に踏み出す。(高橋 信)
菅野さんは渡米を前に9日、約半年ぶりに気仙町の親戚宅を親と訪ねた。

高田一中時代の菅野さん。当時から期待の選手だった
「英語はもうバッチリか」。孫のようにかわいがってくれる大伯母らから激励を受け、英気を養った。 「陸前高田はやっぱり落ち着く」。身長198㌢、体重93㌔の屈強な体躯の青年があどけない表情で笑った。
日本人の母と米国人の父を持ち、8歳まで暮らした米国でNBAの試合を観戦し、プロバスケ選手に憧れを抱いた。小学2年生の時、東日本大震災を機に陸前高田市に移住し、翌年入った地元のミニバススポ少で本格的に練習を始めた。
当初は日本語が話せずコミュニケーションに苦しんだが、周囲の人の温かさに支えられ、豊かな自然に囲まれた暮らしにも徐々になじんだ。バスケはメキメキと上達。身体能力は群を抜き、高田一中時代には切れのあるドリブルなどが評価され、日本バスケットボール協会(JBA)のジュニアユースアカデミーキャンプに招集されるなど、頭角を現した。
中学3年生で花巻市に引っ越し、花巻中から仙台大付明成高に進学。小学6年生のころ、仙台大明成が果たした全国高校選手権(ウインターカップ)3連覇の原動力となった八村選手の活躍ぶりをテレビで見て、「自分も塁さんのようになりたい」と背中を追いかけた。
高校では大きな試練を経験。2年生の春に右足の甲を骨折し、復帰後間もなくの同年秋には右膝のけがで手術に踏み切った。1年間プレーできないつらさを味わい、仙台大明成が3年ぶりに優勝したその年のウインターカップは、全試合ベンチを温めた。主力となった同級生の活躍を心から喜んだ一方、「自分もコートに立ちたかった」とほぞをかんだ。
最上級生になり、チームの司令塔であるポイントガードの練習を本格化。身長2㍍近くの大型ガードは珍しく、持ち前の突破力に加え、スリーポイントの精度にも磨きをかけた。男子U19日本代表として「FIBA U19ワールドカップ2021」にも全試合に出場し、注目を集めた。
ワールドカップで世界のレベルの高さを痛感したのが決め手となり、「さらに上の世界で挑戦したい」と、短大「エルスワース・コミュニティ・カレッジ」に進む。全米大学体育協会(NCAA)1部への編入を目指すという。
母の自営業・陽子さん(49)=花巻市=は「息子のバスケの原点は陸前高田にあり、改めて地域の人たちに感謝している。アメリカでは苦労の連続だろうが、自分の力で道を切り開いていってほしい」と信じる。
菅野さんは「緊張もあるが、楽しみの方が大きい。お世話になった陸前高田の人たちに、これからもいい報告ができるよう努力していく」と誓う。