「珊琥島の美観をふたたび」 東京世田谷RCの申し出で調査 ツバキ植樹など事業化検討(別写真あり)
令和4年6月12日付 1面

大船渡湾に浮かぶ国の名勝・珊琥島は、東日本大震災後から「松くい虫」の被害が深刻化している。震災前までは島を愛する人々が自主的に美化活動を行っていたが、人が立ち入らなくなった現在は荒れ果て、立ち枯れたマツの姿が遠目にも目立つ。これを受け、東京世田谷ロータリークラブ(RC、大友敬会長)が「枯死した木を伐採して市花のツバキを植え、景観を取り戻せないか」として、事業化の検討に乗り出した。このほど現地調査が行われ、被害の大きさも確認されたが、行政だけでは手を広げきれなかったマツ枯れ対策が一歩前進する可能性も出てきた。 (鈴木英里)
マツ枯れ対策に光明
今回の現地調査にかかる費用などは、東京世田谷RCが負担。同クラブ所属の会社経営者・山田康生さん(59)=三面椿舎、がんばらんばたい(隊)代表=と、市の関係者、気仙地方森林組合、大船渡RCの会員らが、かつてテニスコートがあった広場や斜面に生えたアカマツの状態などを確認した。
リアスリーグ創設やつばき油の搾油所設立など、震災後の支援をきっかけに大船渡とかかわるようになった山田さんは、「月1回ペースで訪れるたび、珊琥島の荒れ方が気になっていた。島にヤブツバキを植えたら、入港する客船から見ても美しいのでは」と、東京世田谷RCに景観美化プロジェクトを提案。同クラブは、創立60周年記念事業として、当面の資金を確保した。
珊琥島は東西100㍍、南北370㍍、標高28㍍の小島。全体がアカマツで覆われ、名前の由来は「マツ林がサンゴのようだから」とも、「赤崎、大船渡、末崎の三つの浦の会合する島=〝三合〟から」ともいわれ、明治期には茶屋が置かれるなど、古くから景観の美しさで知られていた。
大正13年に結成された大船渡村・赤崎村公園組合によって「珊琥島協同園」となり、昭和18年には国の名勝に指定。漁協婦人部らが刈り払いを行ってきたほか、同53年からは「珊琥島をきれいにする会」がボランティアらとともに草刈り奉仕やレクリエーションを繰り広げるなど、市民に広く親しまれてきた。
しかし、平成27年ごろからマツノザイセンチュウが原因の伝染病「松くい虫」の被害が拡大。市は28年に薬剤の樹幹注入など予防措置を施したが、枯れた木の伐採は技術・費用面で課題が多く、市独自の対応が困難だった。こうした中、弱って倒れたマツが養殖施設に被害をもたらすとして、漁業者からも処理要望が市に寄せられている。
今回の調査では、枯死して灰色に変色したマツや倒木を多数確認。大正15年に建立された「珊琥島協同園由来碑」も倒れた木に巻き込まれ、根元から折れていた。薬剤注入による一定の保護効果は見られたが、数年前までは青かったマツも枯れかけるなど、関係者は「想像以上にひどい」と口をそろえた。
気仙地方森林組合大船渡支所の尾上悟支所長(55)は、「急斜面に生えた木が多いので、伐採自体も、安全確保の面でもかなり難しい作業になる。人力だけで処理するのは到底困難」と語る。台船も必要となるほか、作業道もなく、重機を運び入れる方法も現時点ではない。
一方、山田さんは「伐採はかなり難しい状況と分かったが、どうすればできるのか前向きに方法を考え、10年がかりでもやり遂げたい」と意欲を強める。
市は、今回の視察や今後行う独自調査も踏まえ、同RCとどのように協働できるか協議するとしている。
山田さんは「一番大事なのは、このまちの人たちが主体となって動くことであり、私たちは市民が動き出す〝きっかけ〟になれれば。地元RCなどの力も借りながら、『珊琥島をなんとかしよう』という住民の思いを、行政にサポートしてもらうというやり方で進めていけるのが理想だ」と話し、助力は惜しまない考えを示した。