「みんなの家」まちなかへ 6年越しの再建かなう 建築関係者らセレモニーで門出祝福(別写真あり)

▲ 餅まきでみんなの家再建を祝い合った関係者ら

 東日本大震災後、陸前高田市高田町大石地内に建てられ、平成28年にかさ上げ工事のため解体された建物「陸前高田みんなの家」が、同町の中心市街地に再建された。8月31日には現地で再建を祝うセレモニーが開かれ、6年越しの念願をかなえた関係者らが「まちのシンボルとなり、にぎわいを生む場所になるように」と新たな門出を祝った。(阿部仁志)

 

 セレモニーには、震災後にみんなの家建設を呼びかけた東京都の建築家・伊東豊雄さん(81)ら建築関係者をはじめ、みんなの家を管理する㈲橋勝商店の橋詰真司代表取締役(46)、市、商工会関係者ら約30人が出席した。
 あいさつでは、伊東さんがみんなの家建設プロジェクトのこれまでを振り返り、「再建を迎えて感激した。これからも建物を大切に使っていただきたい」と関係者らに感謝。付近にある交流施設「ほんまるの家」も伊東さんの設計であることに触れ、「これら建築物が〝みんなの家〟になるように」とも願った。
 次いで、戸羽太市長や、みんなの家の共同設計に携わった建築家の平田晃久さん(51)=東京都=と藤本壮介さん(51)=同=も祝いの言葉を述べた。
 橋詰代表取締役は、みんなの家に隣接し、同社が経営する総菜のテイクアウト店「和笑輪」が、平田さんの建築設計事務所の設計監理でこの春新設されたことにも触れながら「スタイリッシュな店の建物と、シンボリックなみんなの家。いろいろな人が出会い、集まり、学べる場になってほしい」と願った。
 記念撮影のあとは、関係者が2階から祝い餅をまいた。和笑輪による料理の振る舞いもあり、出席者らが思い出話や今後の建物の活用について語らっていた。
 みんなの家は、伊東さん、平田さん、藤本さん、乾久美子さんの建築家4人が共同設計し、平成24年に完成。大津波による塩害で立ち枯れした気仙杉19本を柱に活用し、元サッカー日本代表の中田英寿さんをはじめ、国内外の個人・団体から資金や資材の提供を受けて建てられた。
 市内に仮設住宅があった当時、キッチン設備も整えられた2階建ての建物は集会場としての機能も持ち、安らぎの場として多くの地域住民やボランティアらに親しまれた。同市気仙町出身の写真家・畠山直哉さんも輪に入った建設プロジェクトは、同年の第13回ベネチアビエンナーレ国際建築展で金獅子賞を受賞し、世界からの注目も集めた。
 平成28年には、土地区画整理事業に伴うかさ上げに伴い解体され、関係者が将来の再建を見据えて資材を保存。まちなかで新店をオープンした橋勝商店がみんなの家を店舗と一体的に管理する運びとなり、今年の再建に至った。
 再建には、建物移転にかかる市からの補償費や、中田さんからの寄付などを活用。木造2階建て、延べ床面積約30平方㍍。キッチンやトイレがなくなった以外は、再建前とほぼ同じ構造という。
 今月中旬に工事を終了し、10月初旬にオープン予定。和笑輪のイートインスペースとして使われるほか、まちなかを訪れた人たちの休憩スペースや、震災の記憶を伝える場所としての活用も見据える。
 高さ10㍍以上ある物見台は、新たな資材の調達が必要となっているため当面は利用できない。関係者が寄付への協力を呼びかけながら、物見台の復活も目指している。