インタビュー気仙2023/展望を開く⑤ 漁業・須田大翔さん(24)=陸前高田=

一人前のカキ漁師目指す

 

 ──東京都出身。陸前高田市に移住し、カキ養殖に従事した経緯は。
 須田 東海大4年だった令和元年、都内で開かれた漁業就業支援フェアに参加したのがきっかけ。そのイベントで現在、親方として指導をいただいている小友町のカキ漁師、藤田敦さん(57)と出会った。カキは安定的に生産でき、頑張った分だけ収入につながると説明を受け、魅力を感じた。
 もともと海や山などの自然が好きだったし、職人のような手に職を付ける仕事に憧れがあった。当時すでにもらっていた旅行会社の就職内定を辞退し、漁業の道を歩もうと決めた。家族からは反対されたが、自分の思いを伝えて理解してもらった。
 大学卒業後の令和2年春、陸前高田市に転居し、親方に受け入れていただき、修業が始まった。岩手県などが開設している研修機関「いわて水産アカデミー」にも1年間通い、基本的な知識と技術を学んだ。
 現場では親方から漁船を譲ってもらい、カキ養殖棚も分け与えていただいた。本当に恵まれた環境で仕事をさせてもらっている。
 一昨年10月、自分が手掛けたカキを初めて水揚げした。就業から1年半というタイミングで、当初はもっと先だろうと考えていた。「漁業のやりがいや仕事の段取りを考える重要性、責任を感じてもらいたい」と環境を整えてくれた親方の配慮のおかげで、初水揚げの時はとてもうれしかった。
 家族からも今は応援してもらっている。送ったカキを「おいしかった」と言ってもらえて安心した。
 ──昨年11月から2年目のカキ出荷シーズンを迎えている。
 須田 今は午前5時から仕事が始まる。殻付きのカキをメインに扱っており、漁港の作業場では、滅菌済みのカキを発泡スチロールに箱詰めしたり、くっついて塊になっているカキを1個ずつ分ける作業が続く。合間に浜に出てカキを水揚げしている。
 出荷用の箱には「都会っ子若漁師奮闘中」のシールを貼っている。漁船名は、自分の名前などから「翔陽丸」とつけた。さまざまな方の協力で仕事が形になっており、大変ありがたい。
 1年目は想定よりも多く出荷できた。今季も今のところ成育は順調。このまま安定的に出荷し、春まで乗り切りたい。
 ──漁業の魅力は。
 須田 自分の手で育てたものを消費者に届けられることに尽きる。
 自然相手の仕事のため、うまくいくことばかりではない。でもそこが漁業や一次産業の奥深さ。しけで養殖いかだのロープが切れて修復に追われることもある。そうしたアクシデントのたびに臨機応変な対応が求められ、出荷までこぎ着けると達成感が大きい。
 生産者の高齢化が進んでいる一方で、陸前高田には自分のようにIターンして就業する人もいて、刺激になっている。若い人が増え、このまちの漁業が活気づけばいい。そのためにも自分も頑張りたい。
 ──陸前高田での暮らしはどうか。
 須田 海や山の自然が素晴らしい。もともとこの土地には縁もゆかりも無かったが、自分に合っている。何より漁業という仕事ができて、移住してきて間違っていなかったと思っている。
 親方には温泉などに何度も連れていってもらい、仕事以外でも楽しい思い出がたくさんある。市内で漁業をやっている先輩方にも飲み会などに誘ってもらい、かわいがってもらってうれしい。小友町の公営住宅に住んでいるが、近所の人たちは皆さんとても温かい。人にも恵まれていると感謝している。
 ──今後の抱負を。
 須田 今はすべての工程を親方との二人三脚でやっている状況。負担を相当かけており、一人前までの道のりは、まだまだ遠いと感じている。作業のスピードが遅く、親方に付いていくのに精いっぱいだが、一つ一つ勉強していくしかない。
 自信がついたら漁業の魅力を自分なりに発信するなどして、地域にも貢献できればいい。そのためにも一日でも早く一人前のカキ漁師になりたい。(聞き手・高橋 信)