独自サイレン吹鳴終幕 加茂神社の津波警報塔 管理者も万感の思い

▲ 警報塔が見守る中、吹鳴終了後には山本さん㊧記念品を贈呈
公舎内で最後のボタン操作に当たった

 大船渡市大船渡町の加茂神社内にある津波警報塔で3月31日正午、最後のサイレン吹鳴が行われた。四半世紀にわたり夜間を中心に操作業務を担ってきた山本布子さん(63)がボタンを押し、津波災害の記憶の風化を防ぐ音が街や港に響き渡った。独自サイレンは役割を終えたが、警報塔の防災行政無線機能は残り、少しでも早く高台に避難することを伝えるシンボルであり続ける。
 最後の吹鳴は、正午の時報後に行われた。ともに業務を担ってきた市シルバー人材センターの会員が見守る中、山本さんが公舎内にあるボタンを操作。重い響きが広がり、町内だけでなく大船渡湾を挟んだ赤崎町や盛町でも聞こえた。
 長年の地道な業務をねぎらい、山田宏基防災管理室次長が山本さんに記念品を贈呈。警報塔を背に、山本さんは「この音を覚えていて、いつか津波が来た時は逃げてほしい思いを最後に込めた」と話した。
 津波警報塔は、昭和35年5月24日のチリ地震津波の翌年(昭和36年)に整備され、津波注意報や津波警報等が発表時に、早期の避難を促すためにサイレンを吹鳴してきた。近年は、東日本大震災の発災日に合わせ、動作確認や市民の防災意識高揚を目的に、毎月11日正午にも行っていた。
 近隣に第一浄水場があり、管理者が吹鳴操作を担った。定期的な吹鳴の多くは平日の日中で、昼間に浄水場の管理業務を任せられている人々がボタンを押す。非常時の吹鳴業務は、注意報や警報の種類によって吹鳴時間や間隔を変え、早期避難を促した。
 山本さんは、平成10年から警報塔のそばに立つ公舎に暮らしながら、浄水場業務に加え、主に夜間の注意報・警報が発令時に、モーター式のサイレンを鳴らした。直近の非常時では、令和4年1月のトンガ沖で起きた海底火山噴火に伴う津波注意報・警報時に操作した。
 近年は津波警報塔にも併設している防災行政無線子局をはじめ、代替手段の整備が進んだことを受け、廃止した。山田次長は「引き続き防災無線で安全確保を呼びかける役割は担っていく」としている。