「市民の力になりたい」 亡き父と同じ市職員に 高田町の若杉さん新たな一歩

▲ 「陸前高田市民の力になりたい」。市職員として歩み出し、決意を新たにする若杉さん

 陸前高田市高田町の若杉紗香さん(22)は本年度、同市役所に入庁し、新たな一歩を踏み出した。東日本大震災の津波で犠牲となった父・伊久男さん(享年47)も同市職員だった。「お父さんと同じように市民の力になりたい」と、中学時代から思い続けた夢をかなえた。きょう11日で震災発生から12年1カ月。大好きな家族を亡くした悲しみは今も癒えないが、地域のため元気いっぱい業務に当たっている。(高橋 信)

 

きょう震災12年1カ月

 

 若杉さんが配属された観光交流課は、大学2年の時に同市役所でのインターンシップで仕事を体験した縁のある部署。「お父さんのことを知っている上司などから、気さくに声をかけられてうれしい。とてもいい職場です」と語る。
 かつて伊久男さんとともに働き、同課を所管する地域振興部の熊谷重昭部長は「(伊久男さんは)親分肌の人で、真に市民のことを考えて働いていた。思い出を語ればきりがない」と懐かしむ。「小さいころから知る紗香さんが市職員となりうれしい。頑張ってほしい」と目を細める。
 12年1カ月前は、高田小4年生だった。図工の授業の最中にただならぬ揺れに遭い、絵の具バケツが倒れ、床が水浸しになったのを覚えている。母に連れられ、避難した高台からまちを見下ろしたとき、砂ぼこりとともに市街地を覆う黒い物が見えたが、それを津波とは判断できなかった。当時は事の重大さを理解できず、その後、悲嘆に暮れる日々がやってくるとは想像だにしなかった。
 厳しくも優しかった父。週末、父に連れられ、兄と一緒に地元のショッピングセンターで駄菓子を買うのが楽しみの一つだった。「お父さんに『行こう、行こう』とおねだりしすぎて叱られたこともある」と笑って振り返る。
 震災翌日は土曜日。家族で船釣りに初挑戦する計画を立てていたが、その約束も津波に奪われた。
 突然失った日常、突きつけられた命の大切さ。あの日を振り返れば、今も涙が止まらない。「私だけじゃない。陸前高田ではもっとつらい思いをしている人がいるから…」。
 心の支えとなったのは、母や兄、祖父母ら「家族」の存在だった。「自分も古里で誰かの力になりたい」。将来の仕事を考えたときに自然と浮かび上がったのが父と同じ市職員の道。中学生の時には揺るがない目標となった。
 大学3年の時から猛勉強し、採用試験を無事通過。母や兄たちに喜んでもらえたのが一番うれしかった。
 震災前の陸前高田は心の古里だが、新たに形成されたまちも大好きだ。観光交流課では定住交流係を担う。「陸前高田の魅力を全国の人に知ってもらいたい」と意気込む。
 新入職員への辞令交付式から、10日で丸1週間がたった。「お父さん、頑張ってるよ」。父への思いを胸に、市職員として奮闘する日々だ。