春の叙勲/たゆまぬ努力、功績に光 ──気仙から2人が受章
令和5年4月29日付 1面
政府は、令和5年春の叙勲受章者を29日付で発表した。受章者は全国で4017人、県内在住者84人。気仙からは、自治医科大学名誉教授で、済生会陸前高田診療所長の伊東紘一さん(82)=陸前高田市気仙町=が教育研究功労で瑞宝小綬章を、元陸前高田市選挙管理委員会委員長、元公立中学校長の齊藤篤志さん(83)=同市広田町=が地方自治功労と教育功労で瑞宝双光章を受ける。
瑞宝小綬章・伊東紘一さん(教育研究功労)
情熱絶やさず医の道歩む
医師の道を歩み続けて57年。自治医科大で約30年間、臨床検査医学、超音波医学の教育・研究に従事し、その後、へき地医療にも情熱を注いできた。受章の報を受け、「これまでの研究や教育について、国に知っていただいたというのは良かった」と、ほほ笑む。
東京都出身。日本大医学部を卒業後、昭和41年、駿河台日大病院で医師としての一歩を踏み出した。47年に医学博士号を取得し、50年に自治医科大に赴任。臨床検査部教授、附属病院副院長、学長補佐などを歴任し、平成18年の定年退職後は茨城県の常陸大宮済生会病院の院長に就いた。日本超音波医学会の中心的存在として研究活動にも注力し、その功績が認められ、自身の名前を冠する「伊東賞」が同学会において制定された。
平成27年、妻・カヅ子さんの出身地・陸前高田市に開設された済生会陸前高田診療所の所長に就任。「自治医大で教え子に地域医療の大切さを説いてきた。だからこそ、私も余生をこの地にささげようと思った」。カルテの登録者数は昨年10月、市総人口の半分を上回る1万人に達し、現在までの受診患者は延べ11万人を超えた。
診療するうえでの信念は、天台宗の開祖・最澄の言葉で、「自分のことを忘れ、他の人々のために生きる」という意味を指す「忘己利他」。自治医科大初代学長・中尾喜久氏の遺訓でもあり、診療所脇にはこの言葉などを刻んだ碑を建立した。
「医療の主役は患者で、医者は脇役でしかない」ときっぱり。「患者から『あれ、昨日まで診てくれていたのに』と言われるなど、棺おけに入る前日まで医者として働くのが私の理想」と、今後も地域の患者に向き合い続ける覚悟だ。
瑞宝双光章・齊藤篤志さん(地方自治功労など)
ふるさとに恩返しを
旧盛高等学校、日本大学を卒業。昭和40年に中学校の社会科教諭となり、初任地の旧大野村立大野第二中をはじめ、大船渡、陸前高田両市などの学校で教鞭をとった。
平成9年には釜石市の旧釜石西中の校長となり、生徒減少や校舎の老朽化など喫緊の課題を解決するべく、甲子中との学校統合へ奔走し、翌10年に実現。統合後も校長を務め、13年に定年退職した。
広田町に戻ってからは「自分を育ててもらったふるさとに恩返しを」と、同年から28年まで民生委員児童委員の任につき、職場で培った経験を生かした。20年から28年までは市民生委員児童委員協議会長を務めた。
また、16年から市選挙管理委員となり、同委員長や県明るい選挙推進協議会大船渡支部長などを歴任。地域の投票率向上に向け、啓発にかかる街頭活動や各学校に出向いての授業などに積極的に携わり、28年には参議院議員通常選挙で期日前投票立会人に高校生を選任するなどの取り組みが認められ、総務大臣表彰を受けた。
19年から30年まで社会教育委員として社会教育の振興に尽力したとし、令和2年には市勢功労賞を受賞。広田地区コミュニティ推進協議会の会長も兼任し、住みよい地域づくりに努めた。
病気やけがに悩まされた時期を乗り越えての受章。「とてもうれしい。各方面でみなさんに助けられてきたからここまでやってくることができた。私だけでなく関係者みんなの受章だと思っている」と語る。
5月に盛岡市で開かれる表彰式には、妻と一緒に出席する予定。「家族には今もたくさん支えられている」と感謝を表している。