令和は物産連携に期待 北海道・留辺蘂商議所役員が大船渡訪問 開拓者の縁で40年超の交流
令和5年6月14日付 2面

北海道北見市留辺蘂町の留辺蘂商工会議所役員らが12日に大船渡市を訪れ、大船渡商工会議所の役員らと懇談した。明治中期に入植した猪川町出身の千葉新太郎が「留辺蘂開拓の祖」とされる縁で、昭和56年には両青年会議所(JC)が友好関係を結び、東日本大震災の復興支援などでも交流を育くんだ。留辺蘂商議所側は、道の駅への大船渡の物産品出品などに協力を求めた。(佐藤 壮)
大船渡商議所を訪れたのは、留辺蘂商議所の横山勝人会頭と木谷実副会頭、留辺蘂町在住の髙田有修北見市議の3人。留辺蘂に訪問した経験がある細川廣行、橋爪博志両副会頭らが対応した。
横山会頭は、留辺蘂にある道の駅「おんねゆ温泉」の指定管理を、今年4月から同商議所が担っている状況を説明。コロナ禍の影響を受け、敷地を生かせていない現状を明かしながら「人口減少もあって、まちは疲弊しているが、次世代に残さなければならない。大船渡とは長いお付き合いがあり、留辺蘂にないものもある」と語りかけた。
具体的には、道の駅施設内における大船渡の物産品販売実現などに期待を込めた。
これに対し、細川副会頭は「互いに持っているもの、持っていないものがある。東日本大震災時は、留辺蘂の皆さんには本当にお世話になった。できることがあれば」などと語った。その後は40年超に及ぶ交流や困難を支え合った思い出が話題となった。
北海道東部に位置する留辺蘂町は、平成18年に北見市や端野町、常呂町と合併し、北見市となった。同市ホームページの留辺蘂自治区に関する紹介では「明治中期に千葉新太郎が留辺蘂町に足を踏み入れて以来、うっそうとした原始林に覆われた武華原野に相次いで入植者が入り、開拓のくわが振られて農地が広がり、次第に集落が形成された」とある。牧場経営で大地主になった後は、鉄道整備などに合わせて土地を寄付した。
千葉新太郎からひと足遅れ、大正9年に入植した同市赤崎町出身の佐野準一郎は町議を経て昭和22年、民選初の町長に当選。以後、3期12年間務め、教育施設整備などに尽力した。
大船渡市内で両氏の功績はあまり知られていなかったが、昭和54年に留辺蘂JCのメンバーが、大船渡JCあてに古里を探る書簡が届いたのを機に、関心が高まった。同56年には〝姉妹JC〟となったほか、留辺蘂の子どもたちを招く交流も広がった。
その後も、各種式典などに合わせ大船渡JCの関係者が留辺蘂を訪問。平成20年に留辺蘂JCは解散したが、その式典にも関係者が出席した。23年の東日本大震災では、留辺蘂JCのOBらを通じて、まちを挙げての支援が寄せられるなど、息の長い交流が続いてきた。
令和の時代に入っても、交流を深めた両青年会議所のメンバーが多方面で活躍を続け、ともに人口減少や過疎化といった課題をかかえる中、個性あふれるまちづくりへの思いを持つ。
大船渡商議所では今回の来訪を受け、物産交流を前向きに検討する方針。留辺蘂商議所の横山会頭らは市役所も訪問し、留辺蘂訪問経験がある渕上清市長らと懇談した。