伝統の七夕 活気に満ちる 2地区で盛況(動画、別写真あり)
令和5年8月8日付 1面


陸前高田市高田町の「うごく七夕」と気仙町今泉地区の「けんか七夕」は7日、各町で行われた。それぞれ昨年に続き、新型コロナウイルス流行後2回目の開催。今年は地元に加え、気仙外から見学、ボランティアで訪れる人の姿も見られ、この時期ならではの活気に満ちた祭りに多くの笑顔があふれた。(阿部仁志、鈴木英里)
九つの山車がまち練り歩く
高田町・うごく七夕
盆の先祖供養のため江戸時代に始まったとされるうごく七夕。今年は大石、鳴石、駅前、大町、荒町、中央、川原、和野、長砂の九つの祭組が山車を運行。このうち、荒町と和野は令和元年以来4年ぶりの運行となった。
各祭組は、昼と夜の各部で装いの異なる山車を運行。地区ごとのルートや、東日本大震災後に整備された中心市街地を練り歩いた。
うごく七夕の見どころは、祭組によって趣向の異なる豪華絢爛な山車。アザフ染めや、みす、ボンボリ作り、多くの短冊をつけるナンバンの制作など、数カ月前から地域住民やボランティアらが手作業で作り上げてきた自慢の山車が、地域住民や行事を見に訪れた人たちの目を楽しませた。
今年は、震災後に各祭組と交流を深め、コロナ禍の影響で足が遠のいていた県外からのボランティアの参加も目立った。人口減少や少子化などに伴い、町全体で山車の引き手が少なくなっている中、同市の地域活性化を願う学生や企業関係者らが応援に駆けつけ、まちのにぎわい創出を後押しした。
荒町の祭組会長を務める村上一郎さん(64)は「震災後のボランティアがきっかけでこちらに県外から移住し、祭りに参加しているという人もいる。住む場所がバラバラになっても、この時期になればみんな集まってくる。それが七夕。陸前高田のシンボルとしてこれからも続いてほしい」と語る。
和野の山車を引いた小田美琴さん(高田小2年)は「初めて七夕に参加した。1回だけミスしたけど、太鼓もたたけて楽しかった」とほほ笑んだ。
うごく七夕実行委員会の石川宏会長(71)は「昔ながらの祭りを開催することができ、今年も陸前高田に〝夏が来た〟という思い」と語り、地域住民や遠方から訪れた人たちの心に楽しい思い出として残るよう願っていた。
地域の一体感醸成願い
気仙町・けんか七夕
2基の山車に取り付けられた長さ約15㍍の丸太(かじ棒)をぶつけ合ったあと、互いの引き手が綱引きをする。山車の上では若者らがササをたたきつけ合い火花を散らす——今泉地区で900年以上続くとされるけんか七夕最大のみものである〝けんか〟は今年、人員不足などを理由に夜のみの実施となった。
一方、日中は例年通り、気仙町けんか七夕祭り保存連合会(佐々木冨寿夫会長)の制作した山車が地区内を練り歩いた。平日のこの日、特に人が少ない昼の運行を支えたのは、茨城県つくば市に本社を置くスーパーマーケット大手㈱カスミの新入社員ら。約80人が「うごく七夕」との二手に分かれて山車を引いた。社員たちは茨城で事前に山車飾りの「アザフ」を作るなど、準備にも一役買ったという。
細川諒一朗さん(22)は「東北の被災地へ来るのも山車を引くのも初めてだが、事前の用意から関わったおかげか、〝自分たちのまつり〟というワクワク感がある」と笑顔を見せた。
山車は午前中、引き手の「よーい、よい」のかけ声と、小学生がたたく太鼓の音を響かせながら高台の住宅地も運行。今泉地区コミセンで気仙保育所の子どもによる太鼓演奏も行われ、住民らが表へ出て見守った。
山車の上で太鼓をたたいた気仙小の吉田想さん(6年)は、「けんか七夕は全国的にみても、歴史がある古いまつり。人を魅了するおはやしからも、その伝統が伝わってくる気がする。自分が大人になっても続けたいし、何百年、何千年と続いていってほしい」と話し、古里を誇りに思う頼もしい姿を見せた。
近年、準備段階から人手不足に悩む同連合会だが、平野晃さん(43)は「子どもらが、大人になったら自分もやりたいと感じてくれれば。近所の人も思った以上に見に来てくれた。やはり、地域のみんなで盛り上げてこその七夕」と話し、地区がかつての一体感を取り戻すことを願っていた。