「北限のゆず」調査団始動 ブランド力強化の一助に 学生らが起源や歴史ひもとく(別写真あり)

▲ 庭にユズの古木がある家を訪ね、由来などについてヒアリングした調査団のメンバー

 陸前高田市の生産者や産直などで構成される「北限のゆず研究会」(佐々木隆志会長)は本年度、岩手大学(盛岡市)と立教大学(東京都豊島区)が運営する陸前高田グローバルキャンパスに協力を仰ぎ、「北限のゆず調査団」を始動させた。樹齢100~200年程度の果樹も点在する気仙地方のユズが定着した経緯や、歴史などについて学生たちが調査。明らかになった事実をもとに「北限のゆず」としてのブランド力を強化し、他産地との差別化を図りたい考えだ。(鈴木英里)

 

 気仙地方のユズは、郷土菓子の「ゆべし」や漬物等に広く利用されるが、そうした使われ方がいつごろ始まったのか、木がいつから増えてきたのかなどは判然としていない。
 20年以上前に編さんされた陸前高田市史では「市内に柚子が生息している」などと、ごく簡潔に記述されるのみ。リンゴやブドウのような農業作物として育てられていた経緯がないのはもちろん、自家用果樹としても、また山林原野から取得していた果実としても一切記載されておらず、「北限の植物」の節でも触れられていない。
 一方、平成14年には徳島県果樹試験場の研究員が気仙両市で調査活動を行い、「ユズは陸前高田を含む気仙が北限」と特定。古いもので樹齢200年前後の木があることも確認されている。
 「北限のゆず」として気仙産ユズを売り出し、産地化・ブランド化に取り組む同会は、「なぜ200年以上前から気仙にユズがあるのか」を解明し、ブランディングに生かす狙いで、今年6月に同調査団を結成。全国の大学の専門・得意分野と、地域ニーズとのマッチングを行うグローバルキャンパスの「陸前高田イタルトコロ大学」事業を活用し、早稲田大学(東京都新宿区)および名城大学(愛知県名古屋市)の学生8人と教員2人が、専門家や生産者への聞き取り、資料集めなどを行っている。
 調査団は、県農業研究所等が発行する資料や、柑橘類に関する研究書などをひもときながら、同市のユズの品種が多様であることをはじめ、その由来についても、▽平家の落人や、修験者が持ち込んだ▽気仙大工が出稼ぎ先から持ち込んだ▽伊勢神宮など、寺社参詣の手土産に苗木を買ってきた——といった説があるところまで突き止めた。
 そのうえで今月9日から11日までの3日間、学生らが2チームに分かれて古いユズのある家10カ所を訪問し、ヒアリングを実施。植えられた経緯を探るだけでなく、ユズが生活にどのように関わってきたのかなど、暮らしにまつわる部分も尋ねた。
 このうち、庭に樹齢200年級の古木が4本ある米崎町の農業・熊谷研さん(83)は、「はっきりした経緯は分からない」としながら、「うちは明治以前、船にコンブを積んで東京(江戸)まで運ぶ商売をしていたと聞いたことがある」と述懐。そのころに苗木が船で運ばれてきた可能性もあることを示唆した。
 調査団は今後、江戸時代までユズが酢の代用品として使われていたという話や、ゆべしに利用されるようになった経緯など、食文化の面からもその歴史にアプローチしていく。また、同会は調査内容を冊子にまとめ、来年2月に予定する「北限のゆずを楽しむ会」で披露したいとしている。
 同研究会事務局で事業化ディレクターの田中大樹さん(36)は、ユズの持ち主や生産者の高齢化、「ゆず狩りサポーター」に若い人が少ない点を挙げ、「若者が調査に携わり『北限のゆず』の価値を発信していくことで、もっと幅広い人たちに興味を持ってもらえれば。これを契機に、次世代の担い手育成にもつなげていきたい」と話していた。