鐘楼に気仙大工の粋結集 東日本大震災で被災・山田町の海蔵寺 三陸町綾里の坂本さんが技発揮
令和5年9月10日付 8面
大船渡市三陸町綾里の宮大工・坂本文夫さん(69)は今年、山田町船越の海蔵寺(長嶋建央住職)で、東日本大震災で被災した鐘楼の再建作業に関わってきた。津波で流されながらも見つかった鐘を再び設置する仕事に、地元内外で鐘楼建造の経験がある気仙大工として白羽の矢が立った。被災した地域に少しでも貢献したいとの思いを胸に、猛暑の中で作業。発災から12年半を迎えた中、気仙大工の粋を結集した精巧さと迫力あふれる木造建築が、新たな歴史を刻む。(佐藤 壮)

気仙大工の誇りが形となった鐘楼
長年堂宮建築に携わってきた坂本さんは、綾里の坂本地内に「坂本工房」を構える。木のぬくもりあふれる仕事場は、今では独特のたたずまいに引かれ、綾里川ダムなどを巡るハイカーらにも人気を集める。
2月ごろから、工房内で鐘楼建造に向けた作業の準備を進めてきた。創建から、580年超の歴史がある海蔵寺。鐘は昭和50年代に整備され、地元の小学生がスケッチのため足を運んだり、12月31日には除夜の鐘として鳴らしに訪れる姿も多く、地域住民らに親しまれてきた。
東日本大震災では、本堂などとともに鐘楼も土台を残して壊滅的な被害を受けた一方、鐘は見つかり、保管されてきた。近隣のかさ上げした地で、令和3年に本堂が完成。昨年末には、山門も整備された。
坂本さんは、綾里の正三建設㈱が本堂再建に携わった関係などから、山門の整備に関わり、さらに鐘楼は、山田町の㈱佐々木組から坂本さんに直接依頼が来た。自ら設計し、材料をそろえ、工房内に敷いたベニヤ板に設計をもとにした図面をひき、実際に組み立てながら作業を進めた。
鐘楼は、重い鐘を常につり下げていなければならない。「鐘の大きさで、寸法が決まってくる。昔の人の形を崩さなければ、自然にバランスはとれる」と坂本さん。鐘楼は、越喜来甫嶺の龍昌寺に加え、北海道旭川市でも気仙大工がかつて手がけたものをつくり直した経験がある。
「設計、材木を選び、組み上げ、彫刻…。そのいっさいがっさいをやってしまうのが、気仙大工。木びきや建具もやる。彫刻ができなければ、気仙大工になれない」との言葉通り、今回も作業のほぼ全てを坂本さんが担った。8月後半から現地での組み上げに入り、坂本さんと、信頼を置く大工の2人だけでの作業が続いた。
四方の屋根がせり上がり、気仙大工の誇りがただよう鐘楼。坂本さんによる作業は終わり、近く完成を迎える。長嶋住職は「いずれはと思っていたが、震災十三回忌の年に、再建されるのは感慨深い。鐘楼の屋根を見上げるたびに『すごい』という言葉しか出てこない」と語る。
厳しい予算条件だったというが、坂本さんの作業を見ている人がいて、舞い込んできた仕事。坂本さんは「自分はまだ気仙大工ではなく『気仙の大工さん』だけど、評価する人がいたから、ここまできた。人に恵まれた」と振り返る。
さらに、寺の周囲で暮らし、自宅が流された壇家らを思い続け、手を動かした。「被災した人に少しでも喜んでもらえれば」と話している。






