長年にわたる尽力たたえ 秋の叙勲 気仙からは3氏が輝く

 政府は3日付で、令和5年秋の叙勲を発表した。長年にわたる各分野での尽力をたたえるもので、受章者は全国で4078人、県内で84人。気仙からは、元衆議院議員の黄川田徹さん(70)=陸前高田市高田町=が旭日重光章を受章。元同市議会議員の菅野稔さん(77)=同市気仙町=が旭日双光章を、元農林業センサス調査員の千葉幸一さん(82)=住田町下有住=が瑞宝単光章を受ける。

 

旭日重光章
黄川田 徹さん

議案審議功労


復興の先見据え法改正に注力

 

 陸前高田市広田町出身。盛岡一高、早稲田大卒業後、同市役所に勤務した。
 市職員時代には県に1年間出向し、県政も経験。いつしか「機会があれば首長になってみたい」との志を抱くようになり、市職員を辞して平成7年の県議選に挑戦し、初当選を飾った。
 2期目途中の12年、衆議院選挙岩手3区に旧自由党公認で出馬。気仙で戦後初の代議士になると、29年の勇退まで連続6期を務めた。県議、国会議員になっても、〝自身は公務員〟という姿勢を変えず、地域と向き合ってきた。
 4期目任期中の23年3月、東日本大震災が発生。妻の敬子さん(当時51)と長男、義父母が津波の犠牲になり、市内にあった自宅と事務所も被災した。
 悲しみに暮れる一方、旧民主党政権では衆議院震災復興特別委員長や総務副大臣などを務め、被災地の復興に尽力。震災前から人口減少などが進んでいた沿岸部の復興後を見据え、「自立できる支援策が必要」と過疎地域自立促進特別措置法の改正に力を注いだ。
 今回の受章には「ありがたいことであり、支えてくれた方々のおかげ」と感謝し、「何よりも内助の功があってこそ」と天国の妻をねぎらう。また、地方議員の担い手不足を案じ、「気仙は人材が豊富。志ある人は地域の先頭に立つべく精進を」とエールを送る。

 

旭日双光章
菅野 稔さん
地方自治功労


議員生活4期16年地域のため奔走

 

 平成15年から令和元年まで4期16年にわたって陸前高田市議を務めた。「ひとえに地域の方々や家族、関係者の長年にわたる心温かい指導のたまもの。この栄誉を心に刻み、一層精進する」と、受章を受けて誓いを新たにする。
 「地域の声を市政に反映させ、地域課題の解決につなげたい」との思いが、市議を志した原点。4期を通じ、「誠実、拝聴、行動」のモットーを貫き、地元・長部地区のために汗を流してきた。
 忘れられない12年前の東日本大震災。3月定例会常任委員会の事務調査で市役所にいた時に、経験したことのない揺れに遭った。
 「大津波が来る。すぐに逃げろ」と、外に出た市職員に叫ぶように声をかけ、直ちに自宅に戻った。当時は長部地区コミュニティ推進協議会の副会長も務めており、その日から約10日間、津波被害を免れた自宅に戻らず、地区コミュニティセンターに身を寄せる避難者のサポートに明け暮れた。
 「復興のため、議員として、また、コミセンの役員として無我夢中だった。あっという間だったが、よくここまで復興した」と、うなずく。議員の職を退いた今も、持ち前の行動力は健在だ。「各種団体の役もそろそろ次の世代に引き継ぎたいと思っている。それまでもう少し頑張る」と、朗らかな笑顔で語る。

 

瑞宝単光章
千葉 幸一さん
統計調査功労

 

50年振り返り「幸せだった」

 

 下有住中学校(現・有住中学校)を卒業後、炭焼きや酪農、林業に従事。仕事の傍ら、昭和43年、27歳で初めて県農林業統計調査に携わり、以来50年以上にわたって各種統計調査業務に尽力した。
 昭和45年から令和2年まで国勢調査11回、昭和44年から平成31年まで農林業センサス11回、平成3年から18年まで事業所・企業統計調査2回など、これまでに合わせて44回の統計調査に携わった。
 「正確な情報を集められるように心がけ、調査で知り得た情報は決して口外せず務めてきた」と語る千葉さん。調査員を担っていた間、町内の広い範囲を回り続けた。現在のように道路が整備されていなかった時代、山間部の集落に出向いた際に原動機付きバイクが動かなくなり、雪の中を歩いて自宅まで戻ったこともある。
 そんな苦労話もあるが、振り返れば「幸せだった」と語る。「行く先々で世間話をしながら交流を深め、皆さんには快く受け入れてもらって本当にありがたかった。ここまで続けられたのも、周囲の協力があったからこそ」と感謝を口にする。
 「何か少しでも役に立てればと思ってやってきた。足が悪くなったこともあるので、若い人に譲る時が来た」と、調査員の役目を後進に託す。