鷺悦太郎さん2度目の快挙 伝統の日展で特選の栄誉 本県からは唯一の受賞

▲ 落ち着きや安らぎを意識して描いたという受賞作「ショート ブレイク」

 陸前高田市の美術家・鷺悦太郎さん(65)の作品「ショート ブレイク」(油彩、F100号)が、東京都の国立新美術館で26日(日)まで開催中の日展(日本美術展覧会)洋画部門で、非会員として最高の栄誉である特選を受賞した。令和元年に続く2度目の快挙で、今年の特選受賞は全部門を通じて本県唯一。画家たちがこぞって目標にする由緒と権威ある公募展であり、特選2回で「準会員」に推挙されるが、鷺さんは「これで絵描きとしてはようやくスタート地点に立たせてもらえたところ」と控えめに語り、一層の研さんを心に誓う。(鈴木英里)

 

鷺 悦太郎さん

 受賞作は今夏制作。猛暑のさなかで、アトリエはエアコンをつけていても暑く、汗ばむほどだった。「少し休憩しましょう」。鷺さんがモデルの女性に声をかけると、女性はかけていたショールをバサッと頭にかぶるようにして風を送り、息をついた。
 「その、つくられた格好ではない、緊張感がとけた瞬間の自然なポーズや表情、解放感がよかった」と鷺さん。〝短い休憩〟の意味を持つ題名を付けた。
 鷺さんは東日本大震災後から一貫して「被災と人間の関係」をテーマに絵を制作。震災を直接描いていなくても、悲しみや、焦り、もどかしさ──大きな災害を経験した人が味わった複雑な感情をモデルの表情や表現に込めてきた。
 今回も、人の内面に触れる世界を描くという意味では、そうした震災以後の流れをくんでいるという。「コロナ禍、異常気象、不穏な世界情勢。震災の後も、不安で落ち着かない日々がずっと続いている。だからこそ、心安らげる落ち着いた絵、見ていて癒やしになる絵を描きたかった」というのが今作への思いだ。
 高田高校時代、18歳で日展のコンクールに入賞。周囲と比べても早い段階で認められ、以後も評価を受けてきた。しかし、家族の介護のため、30代からは25年もの間、画壇から遠ざかっていた。
 再起は平成22年。高校生で頭角を現した当時を知る美術家が、市内の絵画展で鷺さんの作品を見つけ、「中央の公募展へ出品しなさい」と、改めて上を目指すことを勧めてくれた。同年初めて白日会展へ出品し、翌23年には一般佳作賞を受賞。29年には内閣総理大臣賞にも輝いた。
 日展の特選初受賞では「会友」として認められ、「次は準会員」と目標にしてきた。だが今回、審査員長にかけられたのは称賛ではなく、「これでやっと〝スタートライン〟」「まだ特選だから(表現が追いつかないのも)仕方ないけれど」という厳しい言葉。
 鷺さんは、「一人前になったような気になってはいけない。あくまで画家として、選ばれた人たちの世界の入り口に立たせてもらっただけ。2度目の受賞で緩むか、さらに進むかが分かれ道になる。道のりは長く、険しい」と、身が引き締まる思いがしたという。
 今後は毎年無鑑査で日展に出品できることになる一方、「〝落選〟もさせてもらえない、下手な絵でも飾られてしまうということ」と鷺さん。「特選の名に恥じない絵を描き続けていかなくては」と、さらなる高みを目指している。
 日展は100年以上の歴史を誇る日本最高峰の総合美術展で、鷺さんは平成21年から連続で同展の洋画部門に出品し、毎回入選。何度も特選の最終候補に残ったが、令和元年に「フローズン・タイム」(油彩、F100号)で初の栄誉に輝いた。それまで本県在住者が特選を受賞したことはなかった。2度目の特選受賞者は、二戸市の高田啓介さんに次ぐ2人目。