冬のサクラに思い返すは 津波到達地点の「シキ」満開
令和5年12月10日付 7面

季節が冬の入り口に立つころ、陸前高田市の低地部ではシキザクラが満開を迎える地点が多い。その大半は、同市の認定NPO法人・桜ライン311(岡本翔馬代表理事)が、東日本大震災の津波到達地点に植えたもの。震災を知らない人たちへ高所避難を促すための花はまた、震災を経験した人々が、まだ肌寒い時期だった被災当初を振り返り、日常のありがたみに思いをはせるきっかけにもなっている。
震災翌年の平成24年から30年にかけ、桜ラインによってシキザクラやオオヤマザクラ、オオシマザクラがそれぞれ数本ずつ植樹された同市米崎町樋の口地内。晩秋~初冬ごろと、春先の年2回、時には3回花を咲かせるシキ、寒の内に開花することも多いオオシマ――と、同地区は冬場こそサクラの〝らんまん〟シーズンだ。現在は熊谷政澄さん方のシキが満開を迎え、白に近いかれんな花びらが冬晴れの空によく映えている。
「おはようさん」。朝、熊谷さんの〝お隣さん〟である熊谷征子さん(84)が、このサクラの下でご近所の中山ヤシミさん(85)を見つけてあいさつすると、中山さんも笑顔で手を振り返し、そのまま立ち話が始まる。「きょうは会えでいがっだ」「んだ。きのうは時間が合わねがっだね」「ほれ見で、花っこ。きれいに咲いで」。
征子さんは日中よく家の外へ出て、熊谷さん宅の前の空き地から広田湾を眺めるという。そこにタイミング良く中山さんが顔を出せば、いつも気ままなおしゃべりがスタート。自宅でお茶っこ飲みすることもあるが、双方の家の中間にあたる、熊谷さん方に植えられた桜木の下が2人の主な〝定位置〟だ。
12年9カ月前、ぎりぎりのところで津波の浸水を免れた征子さんと中山さんの自宅敷地そばにも、同様に桜ラインの手で植樹が行われた。そこまで津波が到達した証しであり、「大地震があったら、これより高いところへ避難を」という目印に植えられたサクラ。開花の時期は、おしゃべりの際もおのずと花の話題、そして震災当時の話になる。
震災直後、征子さんは被災した近隣の人たちのため、親戚が使っていた元直売所の建物を借りて避難所を運営していた。
夜の寒さに、足りない食料――振り返れば「大変だったな」と思う。しかし、冬に開くサクラが征子さんの胸に呼び起こすのは、苦労やつらさより「あのとき人様のお世話をさせてもらえて良かった」という温かい感情だ。
「ここに植えてもらえてありがたい」というのは、そのころの感謝の気持ちを開花のたびに思い出せるからだと征子さん。花を見上げながら、中山さんのようなご近所さんたちと「きれいに咲いたね」と喜びを分かち合う時間を、これからも毎年大切にしていくつもりだ。(鈴木英里)