〝心の居場所〟どこに 「3・11を過ごす場所」アンケート 陸前高田市などで実施 10年間での変化浮き彫りに

 令和4年12月に神戸大学都市安全研究センターの近藤民代教授と、岩手大学地域防災研究センターの坂口奈央准教授が陸前高田市などで共同実施した「東日本大震災と居場所の変化」に関するアンケートのうち、主に「3月11日を過ごす場所」についての調査結果がこのほどまとまった。震災翌年の平成24年から令和4年までの10年間で、被災者や震災遺族の行動・心情にどのような変化があったのかが数値に表れており、震災から間もなく13年を迎える被災地において、今後の「追悼のあり方」を考えるうえでの手がかりにもなりそうだ。(鈴木英里、1面脇に関連記事)

 

きょう震災12年11カ月

〝心の居場所〟どこに

 

 アンケートは、陸前高田市と大槌町、宮城県石巻市の2市1町で実施。本県最大の被害を受けた陸前高田市における調査には東海新報社が協力した。
 同市での対象は高田・今泉両地区の災害公営住宅入居者や、高台などに自宅再建した被災住民とし、▽東日本大震災前と後で自分の「居場所」と思える場所がどう変化したか▽新しく整備された施設・遺構についてどんな思いを持っているか▽発災日であり、遺族にとっては命日にあたる3月11日をどこで過ごすか——などを問い、223人から回答を得た。
 このうち、坂口准教授は平成24年と令和4年の3月11日を「どこで、誰と過ごしたか」「そこで過ごした理由は」という設問に関し、特に陸前高田市と大槌町での回答を分析。「どこで過ごしたか」については、発災翌年の平成24年の時は両市町とも場所がほぼ均等に分散していたが、10年後の令和4年はこの割合が大きく変化していることが分かった(別表)
 最大の変化は「自宅」で過ごす人の増加。陸前高田では20・2%から67・1%に、大槌では24・5%から68・3%と、いずれもおよそ3倍に増え、全体の7割近くを占めている。坂口准教授は「復興事業がほぼ完了し、現在の居住地である自宅が『安心して、静かに過ごせる場所』となっていることの裏付けとみることができる」とする。
 また、これに伴った変化の一つと考えられるのは、平成24年には割合として最も多かった「その他」の回答が、陸前高田では26・4%から10・3%に、大槌では28・4%から10・4%に、いずれも減少している点。平成24年は発災からまだ1年と、プライベートで過ごせる空間(自宅等)が物理的に存在していなかったことに起因すると推測できる。
 加えて、回答者の割合のうち約半数以上が、陸前高田・大槌ともに65歳以上であった点も踏まえ、坂口准教授は「被災者や遺族が高齢となり、出歩くのが難しくなっていることも『自宅』と答える人が増えた要因ではないか」とみる。
 他方、同准教授は「『公的な追悼式』に出席する人がだいぶ減った」ことも、大きな変化の一つとして指摘。平成24年と比較すると令和4年は、陸前高田で12・8ポイント、大槌では4・8ポイント減少している。
 また、「地域主催の追悼式」と回答した人をみても、陸前高田では5ポイント、大槌では15・3ポイント減った(この点についての詳細な分析は1面脇)。
 別の角度から分析し、「一昨年の3月11日は『自宅』で過ごした」と回答した人のうち、自分にとって「現在の居場所」と考えているのがどこであるかを詳しく見ていくと、同じく「自宅」と答えた人が約8割に上った。
 一方で、「現在の居場所」を「集会所」「店」「公共施設」と答えた人の割合も一定数確認された。これらの結果から、「普段は〝誰かと時間を共有し、会話できる場所〟を求める一方、3月11日は落ち着ける場所で静かに過ごしたいと考える人が多い」こともうかがえる。
 同時に、「3月11日を誰と過ごすか」という質問に対して、最も多かった答えは「家族・親戚」で、陸前高田・大槌ともに67%以上が回答。次いで多かったのが「1人」という答えで、両市町ともに3割近くを占めた。
 以上のことを総合し、同准教授は「被災地の方々は3月11日をとてもプライベートな日ととらえ、内輪の人たちと静かに過ごすことを望んでいると言えるのではないか」とする。
 そのうえで、「この日は一般的な〝命日〟とは異なり、それぞれのとらえ方は多種多様。ひとくくりにすることはできないと、アンケートや聞き取り調査を通じてよく分かった。また数値としては見えにくいが、『海の見晴らせる場所』で過ごすという回答もあり、津波災害という特性や、三陸の方たちの海との向き合い方が背景にあることもうかがえる。こうした『祈念の日に海と向き合う行為』についても今後分析していきたい」としている。