歴史の空白に迫る一冊 『三井木船建造と地域資源』 本紙連載整理し発刊 綾里の佐藤さん きょうから書店取り扱い

▲ 佐藤さんの著書『三井木船建造と地域資源 大船渡造船所を中心に』。きょうから気仙両市の書店で取り扱いが始まる

 大船渡市三陸町綾里の佐藤文吉さん(73)=農学博士=は、本紙での連載をもとにした『三井木船建造と地域資源 大船渡造船所を中心に』を東海新報社から発刊した。戦時下に軍需工場として稼働した同造船所。気仙大工の技や豊富な森林資源が船の建造に反映されたとみられるも、地元に詳しい資料は残されておらず、収集や取材の網を広げて「歴史の空白」に迫った。14日から大船渡、陸前高田両市内の書店で取り扱いが始まる。

 三井財閥の準直系会社に数えられた三井木船建造は、昭和18年3月に設立。大船渡造船所は全国9カ所に立地された造船所の一つとして、同年5月に大船渡町の須崎川河口付近で開所し、26年3月に閉鎖。往時は住民が1000人規模で関わる三陸沿岸随一の大企業だったとも伝わるが、軍需会社だったことから詳細を示す資料は地元にほとんど残っておらず、携わった人々の記憶をもとに語り継がれている。
 佐藤さんは、戦時下の国策と三井との関係、戦後の財閥解体といった大局観ももって「歴史の空白」の解明に奔走。在京の知人らの協力を得て、三井にかかる史資料を保持する「三井文庫」(東京都)にもコンタクトをとるなど精力的に取材を重ね、本紙で令和3年11月から4年7月にかけて、「戦時下の三井木船建造㈱と地域 大船渡造船所を中心に」として連載した。
 今回、その内容を整理したうえで、一冊にまとめた。それによると、大船渡造船所の昭和19年9月時点における労働力総計は800余人。家大工、つまり気仙大工が100余人と比率が高かった。政府の計画に基づく「受命船」建造において、三井の造船所中で一番の実績を記録した背景として、技術の確かな大工がけん引し、豊富な気仙スギも大きな役割を果たしたことを想起させる。
 当時の写真も盛り込んでおり、民需にかじを切った戦後、国交のなかったソ連への輸出船建造や、最後の仕事だったとみられる沖縄向けのカツオ船建造などの様子をうかがい知ることができる。
 佐藤さんは「三井木船建造の事業展開の概略を少しは明らかにできたのは、収穫だと思う。郷土資料の新たな発掘のきっかけになることを願う」としている。
 本は四六版で216㌻。税込み1320円。200部を発刊した。