追悼施設 13年の思い 「祈りのモニュメント」除幕を前に① 芳名板に感謝を込めて
令和6年3月6日付 1面

大船渡市が大船渡町・みなと公園内に整備を進めてきた東日本大震災追悼施設「祈りのモニュメント」が完成し、発災13年を迎える11日(月)に除幕される。犠牲者氏名を掲示する芳名板を含め、中心市街地の湾岸に生まれる新たな祈りの場は、あの日から会えなくなった人々に思いをささげ、未来に向けて経験や教訓を伝える役割も担う。遺族の思いと、今後の空間のあり方に光を当てる。(佐藤 壮)

展望広場や芳名板につながるスロープ
「ここは、いい場所だ。洋子さん、これから世話になるぞ」。
先月23日、釜石市唐丹町在住の尾形勝さん(80)が、公園を訪れた。近くに車を止め、スロープを歩き、湾内の風景が目に入ると、晴れやかな表情を見せた。
展望広場では「鎮魂愛の鐘」に手を伸ばした。音色が響き渡る間、静かに手を合わせた。
この日はまだ見ることができなかったが、スロープには、今月8日(金)~20日(水・祝)に、市内で犠牲になった人々約410人の名前が刻まれる芳名板が設置される。市民だけでなく、当時市内にいた他市の出身者も含まれる。
勝さんのいとこ・尾形洋子さん(享年81)もその一人。釜石市内で育ち、同市職員として勤務し、両親とともに生活を送った。1人暮らしになって体調を崩し、自身だけでは生活が難しくなり、長年、大船渡市三陸町越喜来の特別養護老人ホーム「さんりくの園」で過ごしていた。
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「とにかく優しい人だった」と、勝さんは振り返る。大船渡市内に親戚や知り合いが多く、洋子さんに関する施設利用の調整・手続きを担った。週2回ほど、見舞いに来ていた。
さんりくの園は、平成5年に役場庁舎などがあった越喜来地区の中心部で開所。震災で全壊し、利用者・職員ら50人以上が犠牲になった。
発災翌日の夜には、施設にいた洋子さんが津波に襲われたことを聞き、越喜来の安置所で対面した。「地元の葬儀屋さんの方が、本当に一生懸命動いていた」。火葬も、甫嶺の施設で済ませた。
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昨年、勝さんに対し、市や施設から芳名板に氏名を掲載する意向確認の連絡があった。戸惑いや迷いはなく、すぐに同意した。
「本当に、ありがたいと思った。さんりくの園があったから、私たちも介護を心配せずに、仕事を続けられた。施設には大変、お世話になったから」と、感謝を込める。
さらに「洋子さんの他にも、多くの方々が施設で犠牲になった。その人たちと一緒に名前があった方が、さみしくないのではないか」との思いもあった。
11日に開かれる「祈りのモニュメント」の除幕式に、勝さんは出席を予定している。例年と同様、さんりくの園内の祭壇にも足を運ぶ。
洋子さんを思う空間が、一つ増える。勝さんは、こう語る。
「名前があることで、心のよりどころになって、よく来ることになるかな。『来たよ』って声をかけながら、名前をなでたい」。
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追悼施設のうち、展望広場に設置され、主要な構築物となる祈りのモニュメントはガラス素材。縦2㍍、横1・7㍍で、湾内に向かって祈る構造となる。海に向かって花を手向ける献花台が設けられる。
平常時は、モニュメントそばの説明板に添える2次元コードをスマートフォンなどで読み取ると、それぞれの画面上に犠牲者の氏名が表示される仕組み。芳名板は、発災日の3月11日を含めた一定期間、スロープ路の中間付近に毎年掲示する。
スロープ沿いには、明治三陸地震や昭和三陸地震、チリ地震津波の高さを表した過去の津波高表示板を建立。津波高と同じ高さに置き、歩きながら津波の爪痕を感じ取ることができる。