生きづらさ感じる人の居場所 4月開所予定 震災遺族の佐々木さん 亡き妻と次男に背中押され
令和6年3月9日付 7面


佐々木仁也さん

佐々木みき子さん
13年前の東日本大震災で妻とひきこもりだった次男を亡くした陸前高田市広田町の元小学校長・佐々木善仁さん(73)は、生きづらさを感じる人への支援活動を続けている。教員の頃は仕事に没頭し、家族と向き合う余裕がなかったが、活動を通じて2人の苦悩を知った。4月には念願のひきこもりの人らの居場所を開所する予定だ。「支えてくれている気がする」「やりたいことはたくさんある」。最愛の家族をそばに感じながら、未来への構想を膨らませる。(高橋 信)
高田町の市役所そばで、ひきこもりの人らの居場所「虹っ子の家」の整備が進む。今月に入って仮囲いが撤去されて外観があらわになった。現地を訪ねた佐々木さんが「だいぶ進んでいる」と笑顔で見上げた。
平屋建ての広さ約80平方㍍。交流室、個室、調理室、浴室を設け、24時間誰でも利用できるようにする。埼玉県秩父市に住む長男・陽一さん(43)のアイデアで、車いす対応のトイレや玄関前になだらかなスロープも設置する。
佐々木さんは「KHJ全国ひきこもり家族会連合会」岩手県支部・いわて石わりの会代表を務める。生きづらさや孤独を感じる人が自宅以外で気軽に過ごせる拠点は、気仙にないという。精力的に活動していた妻のみき子さん(享年57)が生前、必要性を唱えていた。「安心できる場になればいい」と、佐々木さんがうなずく。
朝から晩まで仕事に追われた教員時代。育児や家事はみき子さんに任せきりだった。次男の仁也さん(享年28)は中学生の時に、佐々木さんの転勤に伴う転校がきっかけで、部屋にひきこもるようになった。
みき子さんから「退職したらちゃんと向き合ってね」と言われ、そう心づもりをしていた。定年退職を月末に控えた平成23年3月11日、すべてが変わった。
仁也さんは家の中にとどまり、津波はその家ごとのみ込んだ。仁也さんを外へ連れ出そうとしていたみき子さんも避難が遅れ、犠牲となった。「動物が好きで、心根の優しい仁也…」。3月下旬、遺体安置所で仁也さんと対面し、号泣した。翌月、みき子さんも同じ安置所で見つかった。
みき子さんが主宰していた「気仙地区不登校ひきこもり父母会」の活動を引き継ぎ、悩む家族らに寄り添うことで、2人の苦しみを知った。「もっと早く向き合っていれば」。自責の念がこみ上げた。
数年前に脳出血で倒れて以来、1日1万2000歩のウオーキングを課し、健康を意識するようになった。みき子さんの願いだった「虹っ子の家」の開設をかなえるためだ。「利用実績や成果を求める場としたくないから」と、補助金などに頼らず、自費のみで建てることにした。
「私がやろうとしていることを、妻や次男が支えてくれている気がして。長男夫婦の存在も非常に大きい。開所してからもやりたいことはたくさんあるんです」。ホタルの幼虫の餌となるカワニナの川原川への放流、県内内陸部での除雪ボランティア…。「居場所を利用する人が『したい』と言ってくれたら提案してみます。楽しみですね」と話す。
11日は、みき子さんの実家がある久慈市を訪ね、2人が眠る墓地で墓参りをする予定だ。「これからも見守っていてほしい」。2人の分まで自分なりに精いっぱい生きようと心に誓っている。